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このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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毎年恒例のギャラリズム(gallerism)展が始まった。今年は、特に出品作家の年齢層が、か
なり低い。「現場だ!」というサブタイトルにふさわしい作家を、各画廊が選んだせいもある。
インスタレーション、あるいは即興的な要素を含んだ作品が多い。いきおい、会場のディスプ
レーがむずかしくなる。あらかじめ、出品作品のスケールや概要を提出し、調整した後に、
割り当てられた場所に作品を設置するのだが、実際には作品を並べて見なければわからな
い事が多い。これは、物理的なスペースの問題もあるが、それ以上に作品自体の広がりや、
隣接する作品同士の相性など、微妙な問題を含んでいる。しかも、第一印象を良くするには、
すっきりとした展示にまとめ上げないといけない。この展覧会の実行委員長を仰せつかってい
る私は、したがって、自分の所よりはまず全体を見渡して、調整の必要なところには、その旨
を伝えて協力いただくことになる。これにはかなりの神経を使う。最終的にうまくまとまれば、
疲労感もさほどではないが、疑問を残したままだと、どっと疲れる。さて、今年は?

ギャラリズム展がはじ
まった

11月1日

アメリカの中間選挙で、ブッシュ大統領の与党・共和党が惨敗した。そのあおりで、ラムズフェルド
国防長官が辞任した。ラムズフェルドはイラク戦争を協力に推進した人間だけに、ブッシュ政権に
とっては、大きな政策転換を意味する。この政治的結末は、とてもわかりやすい。ひるがえって、
日本の政治はどうだろうか。小泉政権から阿部政権に変わったが、郵政造反議員が復党するとか
しないとか、舞台裏の駆け引きにあけくれている。やっぱりかというため息とともに、不信感だけが
増幅していく。だからといって小沢率いる民主党に代わっても、日本の政治体質が変わるかどうか
大いに疑問。大多数の国民がそう思っているに違いない。かくして国民は政治を見限っている。そ
れをいいことに、官僚主義がはびこってゆく。そしてますます政治離れが加速する。
このいたちごっこを、どこかで断ち切る名案はないものだろうか?

ラムズフェルドの辞任劇
を見て

11月9日

郵政民営化に反対して自民党を離党した議員が、平沼氏を除いて、全員復党願いを出して認め
られることになった。次の選挙で、なんとしても民主党に勝ちたい自民党の戦略には違いないが
ばかばかしくて話にならない。結局自民党の体質は、なんら変わっていない。この失望感が得票
の減少につながるのか、復党で票が伸びるのか、注目したい。それにしても、小泉前首相が、総
裁選のときに、「自民党をぶっつぶす!」と言い切った熱気が、いまは正反対、見る影もない。そ
りゃ、政治的ショーだったといえば、その通りだが、黙った見てると、知らぬ間にさまざまなツケが
わたしたち一人一人にまわってくる事を、わすれないでいたいと思う。

もう復党するんですか

11月28日

今月の「独り言」が、ギャラリズムの話で始まったので、ギャラリズムの話で閉めることにする。
とはいうものの、本当のところは、どうも筆がすすまない。あまりにも理不尽なことが多いから
だ。人様の頭の働きはどうか知らないけれど、私の頭は、論理的につじつまの合わないことは、
きわめて受け入れがたい。けれども、のちのち振り返る事があるかも知れないので、あえて重
い筆をすすめることにする。
ギャラリズムと言う展覧会は、この名称では今年で3回目だが、その前は「画廊の視点」の名で
10年続いた。さらにその前は「大阪アートフェアー」の名で10年続いた。参加画廊の顔ぶれに
入れ替わりはあるものの、いまでも継続して参加している画廊もある。私の画廊もそのひとつ。
それだけに、トータルで23年の持つ意味をどうしても考えてしまう。
23年間会場として使ってきた大阪府立現代美術センターが、将来使えない可能性が出てきた。
私たちの側の問題ではなく、センター側の問題だ。今年の春から導入された「指定管理者制度」
のために、センターの行うあらゆる事業の見直しをはじめたのが、その発端。いままで、ギャラリ
ズム展の実行委員会とセンターは、共同主催の形でこの展覧会を運営してきたが、センター側
が来年の展覧会から共同主催を降りる。したがって、この展覧会は、私たちの単独主催の展覧
会になる。この意味は大きい。センターから支給されていたわずかな補助金(カタログ制作費の
一部)は即刻廃止。センター側の職員を交えて開いていた会議も、私たちだけになりそうだ。
今年の参加画廊は14軒だが、最盛期には23軒あった。当時は中之島にセンターがあったので、
いまよりずっと展示空間が広かった。今の谷町に移ってからは、狭くなった分だけ参加画廊も減
った。公共の施設だけに、ビジネスは出来ないから、質の高い展覧会を目指してきた。物理的に
も、内容的にも、会場のキャパに合わせた展覧会をやってきた自負心が、私たちの側にはある。
センターとの二人三脚が終わるなら、私たちもフリーに考え直す必要がある。
「風が吹けば桶屋がもうかる」というが、どうもこの問題の発端の指定管理者制度も、それに似て
なぜ私たちの展覧会の見直しにつながるのか、よくわからない。指定管理者制度は、民活がねら
いだ。わずかな補助金で質の高い展覧会を提供してきた事こそが、民活そのものではないのか。
100歩譲って、私たちの展覧会を見直す一方で、大阪府直轄の「カレイドスコープ」展は、見直し
の対象にならないのはなぜか?どうも論理的につじつまがあっているとは、とても思えない。
それでも事態は進んでゆく。それに対応してゆかねばならない。

指定管理者制度と
ギャラリズム展のゆくえ

11月30日

12月分