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2004年12月



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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

11月分

毎朝、京阪電車で出勤する。私が乗り降りする寝屋川市駅のホームに立つと、目前に「患者様
に愛される病院を目指して」というキャッチフレーズの病院の大きな広告が目に入る。患者「様」
って、日本語ですか?見るたびにいやな感じが残る。そりゃ、大事な収入源だから、「様」をつけ
てもいいかもしれない。けど、どこか小ばかにしてはいませんか。不要な薬をどんどん出して、
不要な検査もどんどんして、客単価をあげて稼ぎましょう!ねえ、院長「様」!
そういえば昔、「お客様は神様です」って言葉もありました。バブルの崩壊とともに、その言葉も
忘れ去られてしまいましたよね。
ひるがえって、私は「お客様に愛される画廊を目指して」なんて、歯の浮くようなことを、言ったこ
とも、考えたこともない。かわりに「いい展覧会を目指して」といつも言っている。それが愛される
画廊につながると信じているからだ。だから院長「様」、大切なのは医療の質の向上であって、
「様」をつけることではないですよね。

患者様に愛される病院

2004年12月6日

知り合いの画廊から相談を受けた。グループ展に招待していた作家が近々個展をする画廊の
反対で、キャンセルを申し込んできたという。画廊が専属契約を結んでいない作家を縛るのは異
例のことだ。その結果、作家のほうが大幅な不利益をこうむることになる。本来作家はどの画廊
でも、自由に選べる立場にある。特定の画廊と親しく付き合うことは、お互いの利益の一致が前提
になる。その前提を崩してまで力ずくで押さえ込まなくてはならない理由は何なのだろう?
実はこの問題の画廊は、十数年前から何度も私の画廊にも同様のトラブルを与えてきた。私以外
にも被害を受けた画廊や作家もたくさんいる。ある程度の力量のある作家は、早い目に悟って、自
力でこの画廊から離れてゆく。でも若い作家にはまだそれだけの力がない。老舗のその画廊は、
したがって、赤子の手をひねるようなことを、平気でやっているようなものだ。こんな「老舗」には、
なりたくはない。

老舗の横暴

2004年12月10日

趙博の独演を見た。前から気になっている人だった。芸域は広い。在日の生まれなので、パンソリ
やプク(太鼓)は、さすがにうまいが、浪曲もいける。ギターもうまいし、語学も日・韓のほか英語に
ロシア語が出来る。独特のカンのよさというのがあって、型をつかむのがうまいと見た。話芸のうま
さがそれらの芸を膨らませる。だが、彼の本当のすごさは、別のところにある。芸で観客をつかみ
つつも、芸とは何かをさとらせる。笑わせておきながら、笑って済むわけにはいかん!と迫ってく
る。芸は反体制なのだ。だから彼は、体制に組み込まれた芸をバサバサ斬ってゆく。その鋭い切
れ味に、見る人は笑わざるを得ない。そして、ハタと気がつく。こういう笑いもあったのだと。
大阪がこよなく好きな人だと見た。もちろん朝鮮も好きに違いない。ただし、アイデンティティーの
原質として。だからどちらの側からも他人を見る。文字通り「諸刃の剣」でぶった斬る。手荒いよう
であるが、この人には、人に対する愛がある。人間であることの条件として。

趙博の独演を見た

2004年12月13日

寝屋川の駅のはずれに1軒のスナックがある。朝晩前を通るが、今週はじめからシャッターが下り
ている。駅から500メートルは離れているので立地条件はよくない。2,3年前に出来たのだが、こ
んなところにと心配していた。地元住民の直感だ。おまけに隣もスナックで、こちらはずいぶん古
い。よく心得ていて、昼間はお好み焼きと喫茶、夜はカラオケで、フル操業だ。

駅前には立派なスナックがあって夜前を通ると音の外れた歌声がしょっちゅう聞こえてくる。
ここも永く続いているほうだ。
さすがに、どっちつかずだったのだろうか。ママ一人でやっていた。スタイルはいいのだが、色白
とはいえないアジア系の顔だった。ガラス窓に張り出した手書きのボトルキープの料金案内の、
ほとんど漢字のない、ひらがな・カタカナの文章が、ちぐはぐだった。
私は一度も入ったことがないのだが、妙に気になっていた。ママは早起きらしく、あさ普通の姿で
店先を掃除しているのを、よく見かける。目が合っても挨拶するわけではない。夜通ると、大きな
透明のガラス窓から、中がよく見える。客のいないときのほうが多かった。そんなときは、ママが
カウンターに座って一人でカラオケをうたう。素人としてはうまいほうだ。ロングドレスで着飾ってい
るすがたは、朝とは別人。でも、一人でぽつんと客席に座っていることもある。たまに窓越しに目
線が合う。でも何事もないように、私は過ぎてゆく。いつだったか、客席で寝そべっているときが
あった。さすがに、おいおい、なんて事をするのだとのど元まで声がでかかったが、黙って前を
通り過ぎていった。
どこの国からきた人だろう。パトロンはいたのだろうか。
いま、あのひらがな・カタカナのちぐはぐな張り紙は、もうない。

一度も入ったことのない
スナック

2004年12月16日

何年かぶりに画廊で忘年会をした。韓国で覚えた参鶏湯(さむけたん)をふるまうと言ったら、め
ずらしさもあって、たくさんの人が来てくれた。参鶏湯は、数年前から見よう見まねではじめたら
好評で、今年はリクエストがたまっていた。そこへ、作家のN氏が極上の朝鮮人参を寄付してくれ
たものだから、とたんにその気になってしまった。
参鶏湯は、韓国の薬膳料理で、小ぶりの雛鶏のおなかに、朝鮮人参・栗・ナツメ・にんにくなどを
詰め込んで、薄い塩味のスープで3時間ほど煮込んで作る。画廊では、そんな悠長なことはでき
ないので、圧力鍋を使ったが、出来は上々、結局4羽を順次料理した。
日本では、自分でさばかない限り、丸ままの雛鶏は手に入らない。私がいつも使うのは、南米産
の成鶏で、これがころあいの大きさ。肉質も悪くはない。決め手は朝鮮人参とナツメ。スープに玉
ねぎなどの野菜をきざみこんでおくと、いい味になる。要は鶏がらスープを作るようなもの。ただ、
参鶏湯は、あくまで鶏が主役。
当然のことながら、食べ終えたあとのスープが、またおいしい。これでラーメンを作るもよし、鳥粥
を作るもよし。使い道をきめないまま、今画廊の冷蔵庫の冷凍室で眠っている。
天野画廊は、これで25年を終えた。来年は26年目。

参鶏湯忘年会

2004年12月21日

大阪府立現代美術センターで開催中の大久保英治の展覧会を見た。還暦を迎えたこの作家が
いまさら「今日の作家シリーズ」に最年長の作家として登場する理由はどこにあるのだろう。ユー
ラシア大陸横断にアースワークの根源を求める彼のコンセプトは、韓国で制作した作品で具体
化されているが、今回のテーマは「海と山の間(はざま)」である。
会場中央に巨大な芋虫状の枝の集合体が吊り下げられている。その下に漂着した100円ライター
が円盤状に敷き詰められている。円盤は2個つながっている。つながっているのは、世界中どこの
海もつながっていることにつながっているのだろうが、つなぎ目の処理がいささかいただけない。
片方の円が優先して渦状になっている。ここは等価に処理しなければならないところだ。また、小
枝の集合体が吊り下がっているのも理解しがたい。真下の「海」と接点がないのは、彼のいう「間
(はざま)」の精神に反するのではないか。海と山を俯瞰的に区別するのは、古い発想で、今は三
次元でとらえるべきだ。もし二次元の処理にこだわるなら、それなりのコンセプトが要求されるが、
残念ながら私には汲み取る事が出来なかった。
20年以上も前に、大久保英治はミニマルアートの作家として、私の画廊からデビューした。その
数年後には日本海に漂着した木々で作品を作り始め、ランドアートないしはアースワークの作家
に変貌していったが、そのときのテーマが「還流」であった。還流は、自分自身の転向も含めた、
包括的なコンセプトであった。このとき、やや先行して、リチャード・ロングが注目されていた。不
本意ながら、アースワークの範疇に入れられた大久保だが、今回の展示は実力を尽くしたとは
言いがたい。
いまや、「韓流」という言葉がある時代。彼の「還流」を埋没させるには惜しいと思う。

大久保英治展を見た

2004年12月24日

2005年