2005年1月分
10月分
9月分
8月分
7月分
2004年6月分

2005年3月



トップページに戻る
お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

11月分
12月分
2月分

春先なので「萌える」ことを話題にしたいのだが、老いてゆく私には、逆に「萎える」ことが問題だ。
私が若い頃にお世話になった画廊主のKさんは、画廊を引き払って、家で商売をしている。英語
で、こういう人たちをPrivate Dealerという
日本語では、「風呂敷画商」という言葉しかないが
意味には大きな違いがある。画廊をもって十分仕事をした人が、その余力で高額な作品のみを
特定のクライアントを対象にうごかして余生を送る人がPrivate Dealer。風呂敷画商は、一種の
差別用語で、店を持つ力がなくて、風呂敷ひとつで絵の売買をする人のこと。前者が勝ち組みな
ら、後者は負け組みだろうか。ま、ともかく年をとるにつれて、それなりに自分自身の動き方を変
えてゆかねばならない。いわば上手に「萎える」ことが求められるのだが、これは難しい事だ。
つい先日、知り合いの建築家が、事務所を引き払って家で仕事をすると言う。「今までこんなに
萎えた気分にはならなかったのに.....」と電話口で言った。たしかに人生、足し算は簡単で楽しい
が、引き算は難しくて気がめいる。たしかに上手に「萎える」ことはとても難しい。

上手に「萎える」こと

3月1日

先週ドタキャン劇のあったソウルの画廊主が、一週間遅れで日本にやってきた。関空のゲートを
出てきた彼女は、以外にも軽装であった。日本は初めてと聞いていたので、こちらが勝手に旅行
慣れしていない人だと決め付け、きっと大きなスーツケースをふうふういいながら引っ張ってくる
ものと思い込んでいた。杞憂であった。日本ははじめてでも、他の国にはよく出かけるらしい。荷
物は肩に背負った小さなリュックサックひとつ。
ソウルで何度か会ったときは、きちっと着こなして、どちらかと言えば口数の少ない印象だった。
でも今回は、普段着でよくしゃべる。気さくな人だ。ドタキャン劇で多少構えていたのだが、肩透か
しをくらった。タバコが好きなようで、ホテルは禁煙か?レストランは禁煙か?と聞いてくる。実は
禁煙は韓国のほうが徹底していて、いまはほとんどの公共の場所ではタバコが吸えない。
夜、作家のWさんを交えてたっぷり時間をかけて食事をした後、スナックにのみに行った。ここで
も良く飲み、よく歌った。40代の彼女は、二児の母で、数年前に離婚、目下独身。私が知る中で
は、新しいタイプの韓国女性だ。

ドタキャン劇その後

3月3日

カレイドスコープと言う展覧会が、大阪現代美術センターで始まった。昨年につづいて2回目の
展覧会だ。昨年はインディペンデント・キューレーターの加藤義夫氏の企画によるものだったが
今年は事実上イギリスのアラン・ジョンストン氏と原久子を加えた三者が担っているのが特徴。だ
が必ずしも三者の足並みがそろっていない感じを受けた。カレイドスコープ(万華鏡)は、この展
覧会の基本コンセプトであって、万華鏡そのものを並べる展覧会ではないはずだ。杉山晶子の
作品も一昔前のスタイルで、新鮮さはない。主催者は大阪府で、たくさんの人に見てもらう「公
共性」からすれば、うなづけなくもないが、果たしてこの展覧会に美術としての核があるのかどう
か疑問が残る。ただ見て面白ければいいと言うものではない。印象に残ったのは、科学と美術
の相互補完性を説くアラン・ジョンストン氏の言葉であった。古典とも言えるこの説は、たしかに
イギリスらしい。そして、ビジュアルアートとしての「オップ・アート」を生み出した原動力でもあっ
た。だが、そのオップ・アートの隆盛は、30年前に終わってしまっているのも事実だ。

カレイドスコープ展雑感

3月5日

クリーンブラザース、通称クリブラの卒展のような展覧会を見に行った。活動の根拠地にしてい
たSUMISO(住友道頓堀倉庫2F)が建替えのため近く閉鎖されるので、グループリーダーの川
端嘉人の呼びかけで、現役・OBが30名以上参加した。クリブラは、自立が難しい若い作家たち
がビルの清掃で得た資金でスペースを自主管理する独立型の組織、はやりのNPOとは一味違
う。官からの援助はなく、当てにもしていない。出入りも自由で、自分でやってゆくメドのついた
作家は、自然に巣立ってゆく。自由でおおらかなところが、いかにも大阪らしい。
ここから出た作家で、ダントツは澤田知子。執拗なまでにコスプレの自画像を作りつづけ、昨年
見事木村伊兵衛写真賞を得た、数少ない大阪発の全国版だ。
会場に並んだ作品は、点数が少ないせいもあって、いささか元気に欠ける印象だったが、クリブ
ラの自由とおおらかさは十分伺えた。

クリブラの卒展

3月7日

本格的な花粉症の季節がやってきた。私の場合、花粉症との付き合いは30年以上になる。はじ
めはただの風邪だと思っていたのだが、花粉症と言う明快な回答に出会ったのが20年前。海外
に出ると症状が止む事が多いのだが、帰国して空港のゲートを出たとたんにくしゃみを連発、涙
目になり、ポケットティッシュが離せなくなる。困るのは、集中力がなくなること。外出する意欲も
衰える。見た目は健康体で、食欲もあり、酒も飲めるだけに始末が悪い。花粉よけのマスクがあ
るが、息苦しくなるので好きではない。薬を飲むと眠気を催し、やたらのどが渇く。このページを
更新中も、ティッシュの大箱が離せない。
この花粉症、海外に出るとなぜ止むのか考えた事があった。杉の花粉が原因らしいが、海外に
も杉はある。で、症状が出ないのはなぜか?人から聞いた話では、日本の植林政策のツケらし
い。何十年も前に植えた杉が、安い外材の輸入に押されて、手入れもされないまま放置されて
いると言う。その杉が、劣悪な環境の中で、種の保存の法則にしたがって、やたら花粉を撒き散
らすのだとか。そうだとすれば、これは立派な公害だ。
昨年の症状は軽かった。一昨年も比較的軽かった。花粉症は一種のアレルギー反応だから、
そのときは年をとって自分の元気がなくなって、アレルギー反応も低くなったのだと思っていた。
だが今年はひどい。花粉のパワーがすごいからだろうか、自分の元気が回復したからだろうか?

花粉症の季節

3月12日

「イメージから表面へ」と題した展覧会を見に行った。会場は阪急電車茨木市駅のショッピング
モールの中にある茨木市立ギャラリー、出品者は、中西學・林宰久・原田要の3名で、いずれも
40代半ばの油の乗り切った彫刻家。力量のあるメンバーだけに、それぞれの作品はたしかに
存在感のあるいい作品だが、なぜか会場と馴染んでいない。広さは十分だが、縦横の比が1:3
位の細長い形をしているせいだろうか。天井は、ほぼ規格の2,4m、床はグレーのパンチカー
ペット。よくあるタイプで、別に見劣りはしない。むしろきれいなほうだ。
周りを見ると、いろいろな店舗がテナントとして入っている。そうだ、このスペースは、もともと商
業テナントが入るために作られたものだ。どういうわけでギャラリーに転用されたのかは知らな
いが、それ自体が悪いと言うわけではない。ただ、いったん店舗用に作られたスペースは、いつ
までもそのにおいが残る。
近頃「もったいない」と言う言葉が、再評価されているが、この展覧会を見る限り、作品がもった
いない。と同時に、このスペースももったいない。要は適材適所、両方を生かすことが大事。日
ごろから展示に神経を使う画廊主としての印象でした。

茨木市立ギャラリー

3月18日

このところ韓国からの来訪者が多い。先々週はソウルの画廊主。6月の展覧会の打ち合わせ
のための来日。大阪には遠い親戚がいると聞いていたが、5日間の滞在中会いに行った形跡
はない。最後の日にはショッピングに明け暮れて、ひたすらマイペースの訪日だった。
先週は大阪市内で展覧会をしていた女性画家が表敬訪問に来てくれた。40半ばで独身。どう
やら、理解のある父親が、儒教道徳に縛られない新しい生き方を説いた結果らしい。夜食事を
かねて歓談中、ひたすら生ビールをグビグビ飲んでいた。同席の美術評論家センセイは美術
を介した師弟関係にあるらしく、男と女の関係を超えたフランクな会話を交わしていた。
昨日は、6月に決まっている菊池孝展のパンフレットに論評を書く人が、そのための取材にやっ
てきた。この人も40半ば、京都が好きで1週間決まったところに滞在、昨日も京都から一人で
道に迷うことなく約束の11時ちょうどにやってきた。時間にきっちりした韓国人は珍しい。科学と
美術のはざまをテーマに研究している学者で、インタビューをしてもさすがに飲み込みが早い。
1時間半もかけたインタビューが終わって、菊池孝と助手、私とこのセンセイ計4人で昼食に出
かけた。のっけからビールを注文。こちらは慣れているから別に驚きはしないが、昼食にジョッ
キ4杯は如何。この分だと夜にはどれほどのアルコールが要るのか?怖い怖い!
いずれも、かくも個性的な韓国人たち。正体がなかなか見えてこないのが、いかにも韓国人で
した。

韓国人の来訪ラッシュ

3月23日

   ?  

?   ?

20年前に富山の男性と結婚した女性が、高校生になる娘を連れて大阪に里帰りして、画廊に
ひょっこりやってきた。当時はスリムなNさんだったが、かなり太めの中年おばさんに変貌して
いた。むすめが美術大学志望なので、出来るだけたくさんの作品を見せるために、休みにつれ
歩いていると言う。そういうNさんも、もとは画廊に勤めていた。20年間にこの老松町の画廊街
は、すっかり変わってしまったと言う。共通の知人も、いまは亡くなってしまった人が多い。彼女
が勤めていた画廊も2年前に閉じた。お土産にもらった生しぼりの原酒がおいしかった。

20年ぶりの再会

3月29日

画廊にいるといろんな人がくる。話のネタも多岐にわたる。ある有名な彫刻家の話になって、
数年前に亡くなったその彫刻家の、若い頃のブロンズ像を、5000円で手に入れたという。コ
レクションしていた親の持っていたものを、ちんぷんかんぷんの息子が、ほかのガラクタと一
緒に、バザーに出したものらしい。コレクションは一代かぎり。そのほとんどが、代替わりに
捨て値で処分され、散り尻ばらばらになる。目のきくひとは、そのときが勝負。まあ一種の自
慢話だが、たとえ5000円でも、わかる人のもとで残される作品は幸せだ。瓦礫になって消滅
する作品がほとんどなのだから。

コレクションは一代かぎり

3月28日

4月分
5月分
6月分
7月分
8月分
9月分
10月分
11月分
12月分
2006年1月分