12月分
11月分

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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2005年1月分

ヨン様ブームが吹き荒れて、韓国が急に身近な存在になった。冬ソナのドラマがあたって、一見
降って沸いた話のようだが、もともと日本と韓国はとても近い国、感性も共有できる部分が多い。
とにかくこのブーム、「韓流」というらしい。私の画廊では25年前から韓国の作家を紹介し続けて
いる。そこで年明け以来、今まで扱った韓国作家の作品を並べて、常設展に「現代美術における
韓流」というタイトルをつけている。うちの韓流は、昨日や今日の韓流ではないですよ、というわけ
だが、訪れる人は少ない。やっぱりヨン様のポスターでも貼るほうがいいのかなー。
何はともあれ、欧米一辺倒の日本がようやくアジアの一員であるというアイデンティティーに目覚
めたのは、いいことだ。

元祖「韓流」はこちら

2月7日

出勤時に犬を連れた散歩がてらの老人によく会う。今朝も、私が緩やかな坂を下ってゆくと、むこう
から、その老人がゆっくり上ってくる
坂道だからゆっくり登ってくるのではない。連れている犬が
老人以上に年老いていて、足元がおぼつかないのだ。老人も70半ばと思われるが、足はしゃんと
している。愛犬をかばいつつ毎朝散歩をしているのだ。よく見ると、確かに犬の足のはこびは、人間
の赤ちゃんのヨチヨチ歩きのようだ。この二人連れ(?)を見ると、なぜか胸が痛む。車が一台通れ
るほどの道の両側に分かれて、私たちはすれ違う。背後から若い男が運転するRX-7がブオンブ
オンとうなりながら坂道を降りていった。この若い男は、私の家のすぐそばの住人で、数年前はラ
ンブルギーニを、やはりブオンブオンいわせていた。あの車は、とっくにスクラップなのだろうな。

胸が痛む二人連れ

2月15日

東京で美術評論家として知られ、大学でも教鞭をとっているT氏が、ふらりと画廊にやってきた。
ずいぶんと久しぶりだ。若い頃T氏は、大阪の郊外にあった美術館の学芸員として、関西に10年
ほど住んでいた。その頃のお付き合いで、私の画廊で展覧会をした当時の若手作家たちが大変
お世話になった。その後美術館を辞め、東京に戻って以来、会う機会はほとんどなかった。その
T氏の娘が、近く大阪でミュージカルに出演するという。親ばかですが、と言いながら、そのチラ
シを見せてくれた。スター級の出演者の顔写真が5,6枚並んでいるが、彼の娘はその他大勢で
名前すらも載せてもらっていない。「親と同じヤクザな世界に・・・」と話は進んだ。もともとT氏は、
有名な彫刻家の息子。だがT氏が幼い頃は、まだ無名の親の下で、貧乏な日々を送ったという。
だから、彼にしてみれば、「
三代に渡るヤクザな世界に・・・」という意味になる。まんざらでもなさ
そうだ。世の中でマイナーな世界を行く人間には、共通のにおいがあるのだろう。
別れ際に、「天野さんもそうですよ。」って言われた。

三代に渡るヤクザな世界

2月17日

春がそこまで来ている。風は相変わらず冷たいが、日差しが温かくなる。でも、それよりもはっきり
わかるのは、猫の発情だ。夜から明け方にかけて家の近所で、奇声を出す。時には赤ん坊の泣き
声かと思う。私が思春期の頃、高校受験を控えて夜に勉強していたときの事を思い出す。私は最
初、それが猫の発情だとはわからなかった。あまりに声が鳴り響くので、てっきり捨て子が泣いて
いると思って、玄関を出て家の前の土手に目をやるのだが、深夜なので暗くてよく見えない。やが
て泣き声が止んで、部屋に戻ると、また泣き声が始まる。お茶を運んでくれる母に、「捨て子が?」
と言うと、よくわかっていた母は、「ううん。」と否定して笑うだけだった。
あれから40年。猫の営みは、今も変わらない。

猫の発情期

2月20日

何にしてもドタキャンは困る。韓国から今日来日予定のお客さんが、昨日の夜来日延期を告げて
きた。もともと1月の予定が延びて2月になったのに、である。国民性の違いもあるが、私は韓国
の知人から、よくドタキャンの目にあわされる。気をつけなければならないのは、こういうことがあ
ると、ややもすると「韓国人は約束を守らない」と思い込んでしまう事だ。ドタキャンをする人は日
本人にもたくさんいる。ただ人の心はむずかしい。すぐに安易な理由付けをする事が多い。そう
すると不思議に納得して、安心するのだ。でもこれは典型的な偏見の構図。ここは一番、ぐっと
こらえて冷静にならなければならない。
とはいうものの、パートナーとしての信頼関係が低下したのは否めない。信頼回復は、確実に
来れる日を早く提示する事。時間が過ぎれば過ぎるほど信頼関係は低下してゆく。

ドタキャンは困る

2月23日

知人に三重県下の工業高校の先生がいる。研修会で大阪に出たきたと言って、しばし会って
話をする機会を得た。彼の学校の校区は、昔からの農村地帯と新興住宅地が混在して、最
近は問題が山積だそうだ。リストラで家庭が崩壊、授業料滞納に不登校、ついには非行・補導
・停学という図式が定着し、学校の対応の限界を超える事が多くなっていると言う。かわいそう
なのは、積立金が払えなくて修学旅行に参加できない生徒が、クラスに何人もいるらしい。ふ
だんはわからなくても、実際に修学旅行に一緒に行けないことで、級友はその理由を知ってし
まう。修学旅行を引率すればするで、他校の生徒とのトラブルはしょっちゅう。最近は家庭での
食事が貧弱なのか、旅館での大食いがたたって、体調を崩す者が続出するという信じられない
話までしてくれた。さて停学処分中の生徒は、修学旅行には参加できないが、じゃ家でおとなし
くしているかというと、さにあらず。フラフラ町に出て問題を起こすと困るから、このごろは登校さ
せるのだそうだ。現実が話のつじつまを超えてしまっている。

高校の先生の話

2月25日

ライブドアとフジテレビの戦い

2月26日

ライブドアとフジテレビの戦いがいよいよ本格化してゆく中で、今まで見えなかったものが見えてきた。この
問題はもともと経済の問題だ。それが、このところ政治家の発言が目立つ。やはりそうなのだ。政治家に
とっては経済秩序の名目で、利権を狙えるチャンスなのだ。かつてのリクルート事件がそうだった。時代の
新進企業として登場したリクルートが、企業規模の拡大とともに政治家との癒着を深めてゆく。そしてそ
こそこ成熟したら、今度は創業者のワンマンが原因だとして、政治の側から創業者の追い出しにかかる。
かくして多くの企業が政治権力の元に手なずけられ、権力基盤に組み込まれてゆく。
自民党の有力者が言う「放送の公共性」とか「金で企業を買う汚さ」は、これから手なずけるためのネタ
ふりなのだ。もしライブドアが政治献金を用意して政治家に挨拶に行けば、この問題の舞台は麹町から
赤坂の料亭に移るに違いない。ライブドアはそれを拒否するために、リーマン・ブラザースという金融資本
を後ろ盾に、あくまでも経済の土俵で戦いを挑んでいる。潔いといえばそれまでだが、リーマン・ブラザース
においしいところだけをとられるのでは、政治家に手なずけられるのと変わりない。インターネットという新し
い分野の企業らしく、政治にも巨大資本にも翻弄されない新しい企業展開を望みたい。

My memory musut be going. 記憶が飛んでしまった、という意味ではありません。年のせいで、
記憶力が落ちたという意味です。ことさら恥をさらすわけではないのですが、やはりどうも年を
自覚せざるを得ない状況になってきました。
昔というと、まず10年前を思い浮かべます。若い人には3,4年が昔なのに。
口は達者ですが、気力がもちません。明らかにオッサンです。
画廊にくる若い人を捕まえて、ミニマルアートの話をしても、ぽかんとしています。
It's a condition caused by aging.

My Memory Must be
Going.

2月28日
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