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このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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イラクでスンニ派とシーア派の報復合戦が続いている。フセイン追放の後の落ち着かない国内
体制で、またもや宗教対立が表面化したようだ。日本の自衛隊がそろそろ撤退をはじめようかと
言う時期に、これでは世論の反対を押し切って派遣したのはいったい何だったのかと思う。そし
て、いまやイランの核開発が問題になっている。明日にでもアメリカの攻撃が始まるかのような
情勢だ。日本政府はイランにも派兵するつもりだろうか?
もともとアラブ社会の構造は複雑で、かつてアメリカとソ連がこの地で覇権争いをしたのが、いま
も尾を引いていることはわかる。蓄積されたオイルマネーが、宗教対立やイスラム原理主義の背
景にあることもわかる。武器商人が過剰になった武器を売りさばいているのもわかる。だが、それ
でもいったいいつまで血を流し続けなければならないのだろうか。
日本は、かつてアメリカの影響力が低下したスキに、イランから安定した石油供給を受けることに
成功した。イラクの自衛隊をイランにまわすことは到底出来ない。アメリカの要請が現実のものと
なれば、日本はいったいどうするのか。深刻な国際情勢とはかけ離れたところで、ほりえもんやニ
セメール事件でうつつをぬかしていて、ほんとうにいいのだろうかと考えてしまう。

アラブ情勢と日本

3月2日

近頃の小泉首相の顔を見るのがいやになった。もともと好きなタイプではないが、「自民党をぶっ
潰す」といって登場したときには、さすがに迫力があった。今までにない政治家を感じて、内閣広
報室からのメールも欠かさず読んでいた。変人を思わせる頑固さにも、旧勢力との対決を前に、
小気味よささえ感じていた。だがその裏で、この4年間で世の中がすっかり変わってしまった。うま
く乗せられてしまった感がぬぐえない。仕事柄私はゆうパックをよく利用するが、郵政改革に乗じ
て料金が上がってしまった。特殊法人の整理も進んでいるとは思えない。だが、ムードだけは改
革のイメージが定着し、支持率もけっこう高い。まるで国民全体が洗脳されてしまったような感も
する。よほどうまい演出家がついているのだろう。塀の中のほりえもんにしても、小泉改革のスキ
をついて生まれた鬼子のようなもので、両刃の関係に思えてしようがない。ほりえもんは株式市場
であぶく銭を手に入れ、小泉首相は国政選挙であぶく議員集団を手に入れた。
実は改革なんてまるで出来ていなくて、事態はどんどん悪化しているのではないかとさえ思う。
残念なのは、それをそうではないと強く否定できる根拠がどこにも見出せない事だ。

小泉政権の末期に思う

3月11日

姫路市立美術館で、デルボーとマグリットを見た。この美術館は、デルボーのコレクションで有名
なので、かなりの期待をもって行ったのだが、残念ながら期待はずれだった。
理由は2つある。デルボーはいいとしても、マグリットの作品の点数が、あまりにも少なすぎること。
二人を並列して展観するには、バランスがあるはず。この美術館がいくらデルボーに力点をおい
ているといっても、ここまでアンバランスなのはうなずけない。最大の理由は予算なのだろう。地方
美術館が自主的に企画出来る範囲には限りがある。その点では、わからない事でもないが、そう
いういわば内輪の事も、そろそろ市民の前にさらけだしてもいいのではないかと思う。これだけの
予算ではこれだけしか出来ないんですといっても、今なら素直に受け入れられるのではないか。
税金で運営していく以上、思い切った情報公開が、この際必要だと思う。それで、意外にもいい結
果が出る場合もあるのだ。
2つ目の理由は、キャプションにある。キャプションは、作品につける名札のようなものだが、そこ
には、作品のタイトル以外に、作品の技法、具体的には油彩画・水彩画・版画などが明記される
のが普通だ。また、その作品が、所蔵品であるのか所蔵主からの借用品であるのかを明記する
のも一般的だ。
ところが、ついていたラベルには、そのどちらもなかった。観る人には、それがオリジナルの作品
なのか、版画なのか、マルチプルなのか判別がつかない。今の段階で市民にはこの程度でいい
と誰かが(もちろん美術館の管理者)判断したのなら、姫路市民がかわいそうだ。しかもまとまった
コレクションを作るには、大変なお金と努力が必要で、それにはスポンサー(この場合は姫路市
民)の支持が不可欠だ。支持を得るには、すべてをあからさまに公表する事だ。それがあって、
初めて充実したコレクションが可能になる。
一方では、シュールレアリズムにたいする理解を、手作業で体験するコーナーも併設しているだ
けに、情報の選別に意図的なものを感じるのは私だけではないはずだ。
地方財政が圧迫している中、この美術館のような、積極性と消極性の乖離がとても気になる。


姫路市立美術館で見た
デルボーとマグリット

3月20日

今年の冬は寒かった。でも、冬来たりなば春遠からじ。ようやく暖かくなり、そして桜の花もまもな
く咲き始める。来週後半から再来週あたりが見ごろか。画廊の近くの公園にも桜の木があって、
もうつぼみがほころびかけている。
今年こそはお花見をと思うのだが、ここ数年花見はしたことがない。あっという間に散り始め、タ
イミングがずれてしまう。花見と酒宴が同義語なのは日本と韓国くらいだろうか。派手さは韓国が
勝っている。お酒に歌に手拍子が日本。韓国ではそれに踊りが加わる。しかし韓国の花見が派
手なのは、併合時代の日本がもたらしたのかも知れない。桜の樹齢が若いし、旧軍港の周辺に
名所が多いからだ。ちなみに韓国語ではコックギョン(=花見物)という。
1980年に三連荘の花見をした事がある。3月20日ごろにハンガリーのブタペストの公園で2,3本
の桜が咲いているのを観た。日本に戻ったのが4月のはじめ。満開の桜だった。2週間後に韓国
に行った。そこでもまた満開だった。桜前線の国際版というか、ただ、ブタペストの桜は、ひょっと
してアーモンドの花だったかもしれない。欧米では桜よりアーモンドの木のほうが多く、日本を訪
れる欧米人が桜をアーモンドだと誤解する事が多いと聞く。
ともあれ、寒い冬にこもりがちだった気分を開放する事は、とてもいいことだ。そのときだけは持病
の花粉症も忘れる。

つぼみふくらむ

3月25日

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