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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

11月分
12月分
2月分

今日はメーデー。日本語では労働者の祭典。私が小さかった頃、この日の夕方に帰宅した父が
酒くさく機嫌が悪かったのを憶えている。日本が高度成長を遂げる40年以上前の話だ。その頃は
労働運動が盛んで、父も職場の組合の委員をやっていた。春闘も絡んで、かなり激しいデモもあ
ったようだ。このメーデー、100年以上の歴史があるそうだ。しかもイギリスやフランスの発祥では
なくて、アメリカで行われた8時間労働要求のデモが発端らしい。当時のアメリカはヨーロッパの
古い伝統や因習にとらわれない新しい国づくりに燃えていた。私が大学時代に、ロシアのクルー
プスカヤという教育学者のことを少々勉強したが、その著作にも、新しい教育の実現を、新天地ア
メリカに求めるくだりがあった。
さて、今の日本は、メーデーよりもゴールデンウイーク。だが私はどこへも行かずに画廊の雑用
のかたわら、この「独り言」を書いている。木曜日から個展の菊池君も、その後に続く脇山さんも
作品の仕上げに忙しい。美術の世界には労働者の意識がないので、メーデーは無縁だ。
ところでパニック映画のクライマックスによく出る「メーデー、メーデー」という連呼は、フランス語
からきたもので、今日のメーデーとはまったく関係がないそうだ。

メーデーはMay Day,
maydayは遭難信号


5月1日

4月分

今日から、ここ老松町で古美術祭りが始まった。20回を
迎える恒例のイベントだが、年々人が減っているように
思える。地元の古美術商の店は、シャッターを下ろして
いて、その前で地方から出張展示の業者も多い。それに
引きかえ、川向こうの「中之島まつり」はすごい人出だ。
天神祭りの囃子もにぎやかで、古書・古着・ゲーム・軽
食などのテントが並び、家族連れが目立つ。川をはさん
でのこの対比は考えさせられる。もちろんイベントの趣旨
が違うし、古美術ファンと一般の人々とは同じにはならな
い。ただ、イベントを盛り上げる工夫が、古美術祭りには
少々弱いのが気になる。私の画廊は、古美術祭りには
関係していないが、秋に「gallerism」のイベントをひかえ
ているので、人集めの仕掛けには敏感だ。

古美術祭りVS中之島
まつり


5月3日

にぎわう中之島祭り

人もまばらな古美術祭り

中之島祭りの関連イベントとして、中之島映画祭が開催中。自主上映の作品が中心で、投票
によってグランプリをきめるシステムになっている。午後から連続して何本か見た。20代・30代
の監督なので、つくりはやや粗いが、私には若い人のセンスを探る絶好の機会だ。
中に
「トロイの欲情」という力作があった。力作と言うのは、85分という劇場映画なみの長さが第
1の理由。第2の理由は、脚本に相当な時間をかけていることが画面からうかがえること。第3の
理由は、きわめて大阪的なセンスが逆に好感が持てること。監督は大阪芸大の出身で、出演者
も全員大阪弁。タイトルからすると、低級のAVを連想するが、それ自体が一種の洒落だと判断
した。ただ全編を通じて、セックス一般と言うよりは、快感としての性意識だけがテーマで、意外
と若者は健全なのだ、とわかってしまった。
物語は、ペット店でアルバイトをする学生と、たまたまやってきた若い人妻の不倫として進行する
が、その学生は結局は人妻のペットでしかなかったというのがオチ。若い監督ゆえに、不倫の本
質がコミックとして描かれるのはうなづけるが、中年おじさんとしては少々物足りない感じがのこ
る。でも、この監督、これからなにかやらかしそうな気がする。また作品に会える日が楽しみだ。

トロイの欲情

5月4日

電車の中で、顔がすっぽりと隠れるくらいの大きな鏡を広げ、化粧をはじめる若い女性が増えた。
毎朝通勤する電車の中、はじめは月に1度くらいしか見かけなかったものが、今では週に2.3度は
見かける。まじまじ見ると変態オヤジとばかりに睨み返される恐れもあるので、知らんふりをする
が、気分のいいものではない。周りの人も同様、触らぬ神にたたりなしの心境だ。鏡が大きいのは
念入りな化粧をするためでもあるが、そんな自分を見る他人からの視線をさえぎるためでもあるの
だろう。大きな鏡を持ち歩くために、この手の若い娘は、決まったように大きなバッグを持っている。
昔は小さなハンドバッグの中から、コンパクトを取り出し、小さな丸い鏡に向かって、手短にパタパ
タするのが精一杯だった。時代は変わった。
そういえば、私が中学生の頃、ザ・ピーナッツという双子の歌手が、「振り向かないで」という歌の
中で、「振りり向かないでー、お願いだからー、今ね、靴下直してるのよ、あなたの好きな黒い靴
下ー」という歌詞があった。その頃は肌色のストッキングがほとんどで、黒い靴下はバーのホステ
スさんの専売特許だった。それがあっという間に、普通の若い娘のファッションになってしまった。
女性の流行は花柳界から始まる、というのが定説らしいが、そんな理屈はともかく、電車のあの大
きな鏡は、携帯の通話と同じく、誰か規制の対象にしてくれないだろうか。

電車の中の大きな化粧鏡

5月7日

昔東京に「南画廊」と言う有名な画廊があった。経営者は志水楠男さんという人で、当時ヨーロッパ
でもアメリカでも、行く先々で「お前はミスター・シミズを知っているか」と聞かれたものだ。実は、こ
の名前を聞いて、イエスのいえない日本人はその時点で現代美術の画商として失格の烙印をおさ
れることになっていた。それほど志水さんの名前は浸透していたし、それが欧米人の日本の同業
者に対する信用のものさしになっていたのだ。その志水さんは30年前に他界した。志水さんが昔
独立する前に一緒に働いていた山本さんも、あの有名な東京画廊を興したが、数年して亡くな
られた。南画廊の番頭として、銀行マンから転進していた佐谷さんも、みずから佐谷画廊を創設
したが数年前に画廊としての活動を閉じた。日本の現代美術を扱う画廊の第一世代の終焉だった。
いま、現代美術を扱う画廊はかなりの数にのぼる。しかしその活動の規模において、かつての志水
さんをしのぐ人はいないと言っていいだろう。それどころか、バブル以降の不況の影響で、美術界
自体の活力が極端に低下している。数が多くなった分だけ、破綻した場合の影響も大きいものが
予想される。

現代美術画廊の今

5月19日

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