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2005年7月



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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

11月分
12月分
2月分
6月分

イタタニ・ミチコさんが突然画廊にやってきた。イタタニさんは、アメリカで最も良質な美術大学の
ひとつであるシカゴ・アート・インスティチュートの絵画の教授をしている。白人男性教授の多い
なか、数少ない東洋系の女性教授だけに、その存在価値は高い。このたび6月23日、東京芸大
に招かれて講義に来日した。実家が兵庫県の西宮で、仕事を終えてアメリカに帰る直前の来訪
だった。私の画廊では、1988年と1990年に個展をしてもらっている。前回日本に一時帰国したの
は4年前。相変わらず細い華奢な体つきだが、なかなかエネルギッシュな人だ。彼女が勤めてい
る大学は、韓国からの留学生も多く、またシカゴのアートフェアーに出展している韓国のGallery
Baikの目にとまった事もあって、数年前にソウルのカンナムにあるその画廊で個展をした。たま
たま所用でソウルにいた私が、何の予告もなく会場を訪れ彼女をビックリさせたこともある。
実家のある西宮には、大谷記念美術館がある。まとまった仕事を見る機会が少ないだけに、ぜ
ひこの美術館を皮切りに、大掛かりな展覧会が出来る事を期待している。

シカゴのイタタニさん

7月1日

  数日前に、中ノ島にある国立国際美術館で開催中のゴッホ展を見に行った。平日だったにもかかわらず、
ものすごい人出で、とてもゆっくりと鑑賞するどころではなかった。日本人なら誰でも知っているゴッホのことだ
から、人が多いのは当たり前だが、実はこの美術館、昨年秋にこの中ノ島に引っ越してきたばかり。それま
では千里の万博公園内にあって、交通アクセスが大変悪かった。そのせいで、どんな展覧会でも鑑賞者
がまばらで、ゆっくりと作品を見ることができた。今となっては静かだったあの空間がなつかしい。
静かな空間では、ひとは私語を謹む。だが、雑踏では私語がはんらんする。百貨店の催し場のような雰
囲気で、絵を見せられるのはつらい。マナーが悪いといえばそれまでだが、より多くの入場者数を獲得する
ために、知名度の高い芸術家の作品を並べ、スポンサーをつけて宣伝を繰り返すと結局こういうことにな
る。入場者数は、美術館から文化庁が受け取る報告の中でも、展覧会の中身より大切な事柄なの
だ。
 この展覧会、入場料は大人1,500円だが、その全部が美術館の収入になると思っている人がほとんど。
だが実際はちがう。こういう特別展のないときに、美術館に入る時の入場料は数百円。特別展をして
も、美術館にはこの数百円しか入ってこない。差額は全部展覧会のスポンサー(新聞社や放送局など)
が持っていってしまう。スポンサーは、作品の貸し出し料・搬送費・保険料などを負担するために、入場料
収入でそれらをまかなおうとする。だからどんどん宣伝をする。入場者が増えた結果は、美術館の収入増
にもなるので、その点ではスポンサーとは同床同夢。だがこのシステムでは、人の呼べない展覧会はできな
い。しかも欧米の美術資産に金が流出するだけで、日本の美術の育成には金が回らない。したがって大
幅な支払超過が続くことになる。この構造は変えていかねばならない。

ゴッホ展を見て

7月4日

朝の通勤途中、中之島の公会堂の前を通って橋を渡る。その橋の歩道脇にくちなしの植え込み
がある。今年は咲かないのかと思っていたら、二つ三つ咲いていた。咲き始めが少し遅いようだ。
そう思って、昨年7月のこの覧を見たら、もう枯れてがっかりと言うような事が書いてある。だが、
今咲いている花はとても見事。あまりきれいので、デジカメを持ち出して、もう一度撮影に行った。
ついでに画廊の隣の「千家」さんのむくげも、きれいに咲いていたので、これも撮影。ということで
きょうはちょっとした写真展になった。きれいな花を見ると心が和みます。

くちなしの花 その2

7月9日

先週の金曜日に、画廊の裏口で、すずめの雛鳥を見つけた。羽根は生えているが巣立ちまでま
だしばらくかかりそうなのに、必死で飛び立とうと地面でもがいていた。きっと巣から落ちたのだろ
う。このままほうっておくと、外敵にやられるかもしれない。そこで、何とか捕まえる事に成功。ひ
とまず、私の手のひらに乗せると、体温の温かみのせいなのか、それとも疲れがどっと出たのか
眠り始めた。しばらくして目を開けるが、頭をなでてやると気持ちよさそうにしてまた目を閉じる。
何度かそれを繰り返しているうちに、情が移ってきた。小さな命はかわいいものだ。だが所詮すず
めは野生。私には育てる自信はない。かといって、このまま地面に放置するわけにもゆかない。
耳をすませると、どこかで親すずめが鳴いている。それにあわせて、手のひらの雛すずめも鳴き
かえす。やはり自然に帰すのが一番だ。
どこか安全で、親すずめと出会える場所を探さねばならない。このビルの3階の窓の外に、雨ど
いの会所があった。ここなら安全だろうと思って、雛すずめをそこに移して降りてきた。
今日、画廊の裏口を開けてみて言葉がなかった。コンクリートの上に小さな羽根が7、8枚ひらひ
らと残っていた。

悲しい結末 

7月24日

札幌のメル友Mさんから久しぶりにメールをもらった。イサム・ノグチの設計したモエレ沼公園を見て感激し、
イサム・ノグチの本を読み始めたと言う。このMさん、とてもおおらかな人で、趣味は読書とヨット(私の知る限
り)。それでも飽き足らないらしく、石の彫刻の制作にもはまってしまった。ただいま2作目に取り掛かっているら
しい。
以下は私からMさんにあてたメール。

M様
ブログ拝見しました。なかなかお上手ですね。サイズが書いてないので、あくまでも想像ですが、
手のひら大くらいでしょうか。手になじませながら、上にしたり、下にしたり、転がしたり・・・
ブランクーシーがアフリカ彫刻に魅せられて作った初期の作品がこんな感じです。
イサム・ノグチの設計したモエレ沼公園のことは、新聞で読みました。いささかお金のかけすぎという気がしな
いでもないですが、未来を背負う子供たちには、とてつもなくすばらしい贈り物だと思います。20年後30年後
が楽しみです。それに賭けた札幌の英断に敬意を表したいと思います。
イサム・ノグチとは30年前にニューヨークのアトリエでお目にかかりました。すでに世界的に有名な人でしたが、
母国日本に対しては、あまりいい感じをもっていないようでした。日本の官界に美術を支援する体制がまる
でなかったからでした。具体的に申し上げますと、その数年前に、東京国立近代美術館で大掛かりな個展
の計画があったのですが、イサム・ノグチの国籍がアメリカというだけの理由で、最終段階で官界から横槍が
入ったのです。もちろん今はそんな理不尽なことはありませんが、当時は現存作家の個展自体が不可能な
時代。ましてや外国人(この言葉にも彼は強烈な嫌悪感を抱いていました。)の個展なぞもってのほかだった
のでしょう。時代が後になって改めて近代美術館から彼に展覧会の打診がありましたが、以来彼は死ぬま
で断り続けてきました。場当たり式の官界主導の文化行政に対する挑戦でした。
Mさんが読んでいらっしゃる本には、このことが出ていますか?
ともあれ、イサム・ノグチがきっかけで、Mさんが石の彫刻をはじめたわけですから、彼も天国で「わが意を得た
り」と思っているでしょう。

Mさんとイサム・ノグチ 

7月26日

たまたま、某国営放送テレビで、ソウルで開催した日本の歌謡曲ののど自慢のドキュメンタリーを
見た。のど自慢そのものを放映するのではなくて、ソウルの人たちがさまざまな問題やプレッシャー
を感じつつ、予選に出場するまでの経過を、3人にスポットを当ててカメラが追っていた。
日本が植民地化した頃に日本語教育を受けて育った老人は、日本と言う国は嫌いだが、当時の日
本人の先生は、今でも大好きで、日本の演歌も大好き。老人福祉センターで同じ境遇の友人と出
会うと、お互いの会話が日本語に切り替わる。だが、まわりからは白い目で見られる。この老人は
予選会当日、家族の誰にも告げずひっそりと会場に向かった。
小学生の娘を持つ主婦のだんな様は、もと在日韓国人。彼女は結婚のために日本に行ってから、
演歌にはまった。歌詞の日本語はだんな様に教えてもらうが、テレビに映るノ・ムヒョン大統領と小
泉首相の会談のシーンが、この夫婦関係に水をかける。妻いわく「日本は謝罪せよ。」、主人いわく
「そろそろ韓国は大人になれ。」
女子高校生のSさんは、日本人の大の仲良しとペアでのど自慢の特訓中。Sさんは、日本のゆかた
を着て出場するつもりだった。そこに、KBSの有名ディレクターが「親日派」のレッテルを貼られ、番
組をおろされる事件が起こった。インターネットによる告げ口が原因だった。Sさんは強い衝撃をう
け、のど自慢はいいとしても、ゆかたはどうかと悩み始めた。
三者三様、いまだに日本という妖怪が禍のタネをふりまいている。日本の歌が解禁されたといって
手放しで喜べる状態ではない。
唯一ほっとさせられたのは、Sさんの出場シーン。彼女は、日本人の友人がチマチョゴリを着て、自
分がゆかたを着ることで事なきを得た。

歌は解禁されたが... 

7月30日

日曜日早朝7時に電車に乗った。斜め向かいの座席には二十歳前後の娘が3人、肩を寄せ合って
眠りこけている。首がかなり折れ曲がっていて、居眠り程度ではなく、熟睡しているのがわかる。昨
日は夜明かしで遊んだのだろう。と思って、他の座席に目をやると、これまた似たように爆睡する
若者が結構いる。彼らは同じグループなのだろうか、別々なのだろうか。オジサンとしては少々気
になるが、詮索しても始まらない。私にもそういう頃があった。

早朝の電車内 

7月31日

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