2月分
12月分
11月分

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
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2005年4月

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7月分
8月分
9月分
10月分
2005年1月分
3月分

今日はエイプリル・フール。朝のニュースで、流氷に閉じ込められたイルカが十数頭、力尽きて
ほとんどしんでしまったらしい。願わくばうそであってほしいが、事実らしい。こんな話ははじめて
聞く。初めてと言えば、スマトラ沖の巨大な地震が、立て続けに起こったのも、今までに聞いたこ
とがない。福岡の玄海島の地震が先日あったばかりで、次はいよいよ東海沖かと心配する。
何か地球規模で、大きな変化が起こっているのではないかと言う気がする。私自身の人生の中
で、こんな不安な気持ちに駆られるのは、初めてだ。いったいこんなときに、いつもどおりの展覧
会をしていていいのかとさえ思う。悪い夢なら、醒めてしまえば、「あー、なんだ」ですむが、現実
はそうはいかない。

今日はエイプリル・フール

4月1日

新聞紙上で、美術評論家の中村敬治さんの訃報を見た。京都の同志社で教鞭をとっていた頃
に評論活動をはじめ
その後国立国際美術館に移籍、工藤哲巳の大規模な回顧展をやりとげ
た。その後NTTコミュニケーションズが持っているスペースのディレクターを勤めたが数年でやめ
以後の消息がわからなかった。まさか訃報で名前を目にするとは思っていなかった。
かつて私は、大阪梅田・茶屋町の生涯学習センターで、5回連続の現代美術講座の1回を持った
ことがあるが、その機会を与えてくれたのが中村敬治さんであった。「現代美術と画商の役割」と
題したテーマで90分の講義だった。一般成人向けのレクチャーなので、できるだけ平易な言葉で
講義した。今でもその原稿は残っていて、頼まれれば同様の講義をアレンジする。私自身同志社
の出身だが、在学中にはキャンパスでお会いした事はなかった。
享年68、ご冥福をお祈りします。

中村敬治さんの訃報

4月4日

春はお花見とともに、人事異動のシーズン。各地の美術館の館長や学芸員が新任・離任する。
大阪では、昨年中之島に移転したばかりの国立国際美術館の館長が、宮島さんから建畠さん
に代わった。その歓送迎パーティーに出席した。昨年の移転記念披露パーティーは、さすがに
足の踏み場もないほどの人でいっぱいだったが、今回はさほどの人ではなかった。
前館長の宮島さんは、新館長の建畠さんと、もともとは国際美術館創設当時の学芸員仲間で、
旧知の間柄、建畠さんも東京からきたと言うよりは、古巣に戻ってきたと言う感じ。
さて、その建畠さんに期待したい事がいっぱいあるが、何よりもお願いしたいのは、時代を見据
えた展覧会の開催だ。このところ、数年前からの独立行政法人への移行が災いしてか、展覧会
の大衆化路線が、どの美術館でもやたら横行している。大衆化そのものは悪い事ではないが、
私たちから見ると、入場者集めの安易な発想が見て取れるのが残念だ。神戸の美術館も、王子
公園の前にあったときは、「神戸市立近代美術館」が正式名称だったが、海のほうに移転してか
らは、「神戸市立美術館」となり、「近代」の字が削除された。おかげで中国の兵馬傭を並べるこ
とができたわけだが、はたしてそれでいいのだろうかという疑問が残る。
美術表現の新しい傾向がなりを潜めているいまこそ、美術館が積極的な問題提起を打ち出して
くれる事を期待したい。

美術館の人事異動

4月8日

この欄でいつか書いたスナックのその後日談。毎朝毎晩前を通るので、目にはいるのだが、数
日前から、足場を組んで、周りにテントを張りだした。昨年末の閉店以来、建物はそのままだっ
たが、どうやら代わりの店舗が入ることなく、解体になるらしい。次の日小型の重機と数人の作
業員が出入りするのが見えた。その次の日、2階建ての屋根の部分がなくなっているのが見え
た。また次の日、テントの隙間から隣の家が見渡せた。そして一昨日テントが取り払われた。
瓦礫の上に重機が乗っていた。昨日更地になっていた。もうここにあのスナックがあった痕跡は
何もない。

スナックの解体

4月26日

鉄道事故は痛ましい。3日前におきたJR福知山線の事故では、大阪から近いだけに、知人が巻き添
えになっていないか心配で、車両に閉じ込められた人々の捜索を見守っていた。死傷者の中に知人の
名前がなかったので、一息ついていた矢先に、訃報が入った。2輌目に乗っていたせいで、捜索に時間
がかかったらしい。大学時代からの友人で、つい2週間前に会ったばかりなのに・・・。 彼女は敬虔なキ
リスト教徒で世話好き、交友関係は広い。大阪市内の音楽事務所に通勤のために、この福知山線
を利用していた。有給の職員ではなく、音楽団員をかかえる先生の人柄にほれて、無給で勤めていた。
そんな純粋な気持ちが、無残にも事故で砕け散った。実はご主人が昨年末に脳血栓で倒れ入院、その
後の経過がよく、最近リハビリを終え職場に復帰したばかり。重なる不幸に言葉がない。確か、この秋には
娘さんが結婚すると喜んでいたが・・・。私には、とても神のおぼしめしとは思えない。

鉄道事故と友人

4月27日

5月分

画廊の自転車がパンクした。釘などを踏んでパンクしたのではなさそうなので、よく見たら、すり
減ったタイヤが破裂寸前で、中のチューブが顔をのぞかせている。よくもまあここまで気づかな
かったもんだ。整備不良もはなはだしい。思えば、フリーマーケットで中古で手に入れて5年。ま
あ十分もとはとっている。新しくタイヤチューブを取り替えるくらいなら、いっそ新しい自転車を手
に入れようと思った。
普段は、カメラとパソコンしか興味のないYahooオークションのサイト。なにを思ったのか、自転
車のカテゴリーを開いてみた。あるある、完成品もあるが部品もある。タイヤの安い売り物も出
ている。
結局999円でタイヤチューブの新品を落札してしまった。こうなったからには、自分で取り替える
しかない。あすは自転車屋さんに早代わりする事にしよう。

自転車がパンク

4月30日

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