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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

11月分
12月分
2月分
7月分

画廊から100mも歩かないところに、裁判所がある。和歌山毒カレー事件の審理もここですすめ
られていて、世間を騒がせた事件の公判のときには、傍聴券を求めて長蛇の列が出来る。いつも
はそんな光景を横目で見て、テレビカメラをかかえた記者たちの間をぬけて画廊に出勤する。
たまたま私の知人が裁判をおこしていて、原告・被告ともに知り合いゆえに、今日は傍聴にでかけ
ることになった。私にとって傍聴は初めての経験だ。小さな民事事件だから、傍聴席はがらがらの
はずと聞いていたが、そのとおりだった。法廷もこじんまりとしていて、10m四方くらいの広さだろ
うか。裁判長の座る席が一段高くなっているのは、テレビドラマのシーンでよく見るとおりだが、へ
やの中央に円形のテーブルがおいてあった。このテーブルは大きなもので、10人以上が楽に座
れそうだ。開廷5分前に傍聴席に座って待っていると、すぐに人がひとり現れた。裁判長ではなさそ
うだった。続いて、弁護士とおぼしき人が現れてテーブルに着席した。でもこの人は長い髪をポニ
ーテールのように後ろでくくっていた。風体から弁護士とわかったのは公判が始まってからの事
だ。開廷時間ぎりぎりにもう一人白髪の老人が現れた。汗をかきながらぜいぜいと言っていた。こ
の人はなんとなく年老いた弁護士という感じだ。開廷時間を5分過ぎて、若い賢そうな人がやって
きた。遅くなりましたと言って、一段高い裁判長席を背に、テーブルについた。やはりえらい人は最
後にくるのだ。これで全員登場。原告・被告ともに本人は来ていない。若いポニーテールの弁護士
と、白髪の老人弁護士。どちらが原告代理人で、どちらが被告代理人だろうかと思ったが、すぐに
わかった。原告は全面勝利を目指して、有能な若い弁護士を選んでいるはず。だからポニーテー
ルがきっと原告だ。すぐに裁判長が、双方の弁護士に質問をはじめた。正確には、裁判長自ら
「確認」と言っていた。30分くらいのやり取りは、まるで民間会社の会議のようだった。ドラマで見
るような劇的な展開は、まったくなかった。「判決は9月27日。」の言葉を最後に閉廷。一段高い裁
判長席は、結局使われなかった。
初めての傍聴経験は拍子抜けだった。拍子抜けと言えば、私が傍聴席に座るまで、まったくの
ノーチェック。名前を書くわけでもなく、券をもらうわけでもなく。玄関からフリーパスで入室した。

初めての傍聴経験

8月3日

Kさんがしばらくぶりに画廊にやってきた。その斬新な色使いや、ポップな作風で、若い頃に新聞
や雑誌でかなり取り上げられた事があった。その後生きるか死ぬかの大手術をして回復、美術界
にも復帰するのだが、数年間のブランクと療養生活を続けながらの制作活動が大きな制約となり
人々の注目が離れていった。美術の世界も、芸能界と同様、実力だけでは乗り切っていけない。
しかも日々の生活がかかっている。新聞や雑誌などの挿絵や、イラストの注文などをうける一方、
売れ筋の小物(焼き物や版画など)を発表して、なんとかしのいでいるが、ここぞと思う力の入った
個展がしばらく遠のいている。力量をアピールするには、売れる売れないを度外視した個展をする
のが一番。その結果が小物の売れ行きにも反映する。だが、画廊側にとっては、売れる売れない
を度外視した展覧会は非常にやりづらい。画廊の使用料をいただけるなら問題はないのだが、こ
れだけのキャリアのある作家にそれを求めるのは非礼にあたる。
つまるところ、実力があって、売上が見込める作家の展覧会はいちばんやりやすい。実力がいま
いちでも、売上が見込める作家もやりやすい。難しいのは、実力があっても、売上の見込めない作
家だ。実はそこが画廊にとって勝負どころで、将来のおおバケに賭けたいところなのだが、昨今の不
況は容易にそれを許さない。
これは画廊にとってのジレンマなのです。

Kさんの場合

8月8日

郵政民営化法案が参議院で否決された。その結果、どういうわけか、衆議院が解散され、日本列島
が即日総選挙体制になった。
小泉首相が、政治生命を賭けてこの法案の成立を目指していたのはわかるがそもそも、この法案
がどういう意味を持つのか、私にはまったくわからない。言われているところによると、巨額の財政
赤字を補填するのに、100兆円をこえる郵便貯金の資金を使うのだとか。それによって官から民へ
の資金移動が行われるとか。だが、それでこの国の財政は、本当に健全化するのだろうか。はなは
だ疑問だ。民間資金が活性化することによって、自然と国家財政が健全化するという甘い幻想をい
抱いているようだが、そのお手本のアメリカやドイツが、今果たして健全な国家財政になっているか
どうか私にはわからない。最小限私の立場で言えることは、アメリカやドイツが、美術市場の大きな
マーケットリーダーであることだ。だがそれは郵貯の問題とまったく関係がない。郵貯の問題が美術
市場の活性化につながるのなら、私は大いに小泉首相に賛成する。
お金の使われ方には、実は2種類あって、ひとつは消費財の分野。もうひとつは、消費の対象になら
ない分野。小泉首相の大好きなオペラの世界は、消費の対象にならない世界の筆頭だ。いわば文
化の蓄積に関する事柄で、これは社会の豊かさを示すバロメーターであると同時に、完全に消費の
世界の図式からは隔絶された論理で動いている。この二つの世界が、あまりにも乖離した社会は
成熟した社会とは言いがたい。翻って、郵貯の問題は、消費財の世界のみの問題だ。したがって
つまるところ、私がかかわる世界にはまったく関係してこない。だから日本の現状には、ただただ
くち惜しい限りだ。

郵貯の問題と私

8月9日

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