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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

2006年
2008年

今年、私の画廊は創業30年を迎えた。この西天満界隈では、私の画廊以外に、ギャラリー白と番画廊が
同じく30年を迎える。さらに、本町にある信濃橋画廊は、はるかに古く、今年で45年だ。というわけで、この
3軒の画廊が、このたび、関西を本拠地にした「美術家のつどい」から、感謝状をいただいた。
実は、古い画廊は、この界隈にもっとある。旧地名の真砂町(現在は西天満2丁目)にある「マサゴ画廊」、
私の画廊のすぐ近くにある「現代クラフトセンター」などは、いずれも50年は経過しているだろう。ただ、この
たびの感謝状の贈呈側は、いわゆる現代美術の作家集団で、主に現代美術を扱う画廊が感謝状の対象
になったと聞いた。いささか僭越な感じもするが、素直な気持ちで感謝状と花束をいただいた。
個人的には、実に、あっという間の30年だった。経営は決して楽ではない。むしろ一昔前のほうが楽だった。
同年代の知人が、まとまった退職金を手にして、リタイヤしたり、半減した給与での再就職をぼやくのを、「
何を贅沢なことを、、、」と横目で見ながら、あてもないのに「今に見ておれ」と嘯く自分にも情けない。
ただ、私よりも若く、私の画廊を舞台に発表してきた作家が何人かいる。すでに十分名の知れた人もいるが
いまいちの人もいる。60は過ぎたが、いましばらく、そういう人たちのためにも、がんばらなければと思う。

創業30年を迎えて

11月6日

関西の著名なコレクターである田中恒子さんの話を聞く機会を得た。田中さんは、特に資産家というわけで
はない。大学教授として教鞭をとるかたわら、生活費の範囲内で現代美術を収集した。その数が2000点を
越えたので、この夏に、和歌山県立近代美術館で、「田中恒子コレクション展」を開催した。コレクターの存命
中に、美術館がそのコレクションを披露するのは、きわめてまれだ。普通は、没後本人の意思を尊重して、あ
るいは、遺族の寄贈の申し出でがあって、なおかつその中から作品を厳選して、しかも美術館に収蔵される
手続きを経てから、展覧会という運びになる。だから、和歌山の展覧会は、それらの各段階を全部捨象して
展覧会に踏み切ったことになる。それにはいくつかの理由がある。
第一に、田中さんのコレクションは、現代美術と呼ばれるジャンルのもので、今の今、言い換えれば旬のもの
だ。鮮度が落ちないうちに披露してこそ、意味がある。
第二に、地域に根ざした活動が問い直されている中で、今回の展覧会は、美術館と地域住民との距離を縮め
るのに十分な効果が見込まれる。
第三に、美術館が十分な予算を確保できない現状で、より安価でより実効のある展覧会が求められるが、こ
の展覧会は、それに値すると思われる。
田中さんは、自らコレクションを進める一方で、「美術館にアートを送る運動」にもかかわっている。不況の中
で、どの美術館も十分な購入費を確保できていない。そこで賛同者を募って、お金を集めて、美術館が欲す
る作品を寄贈しようというものだ。欧米ではどの美術館にも、こういうサポーターの組織があるが、日本には、
ほとんどないといっていい。まれな例だが、京都市美術館は、実は「市立」ではない。その昔、100%京都市民
の力でできた美術館なので、「京都市立美術館」ではなく、「京都市美術館」という名称なのだ。ひところ、日本
国中、企業メセナというかけ声のもと、多くの企業がさまざまなアートプロジェクトを支援したこともあったが、
今ではすっかり影を潜めている。頼りになるのは、企業ではなくて、住民一人ひとりなのだ。
田中さんは、講演の中で、自らの展覧会の中で、改めて気づいたことがあったという。それは、今まで多くの
美術館の展覧会が、「上から目線」で企画されたものであったこと。今回初めて「市民の目線」が美術館に持
ち込まれたと確信したという。また、予想以上に多くの家族連れの入場者があって、子供が生き生きした目で
作品と対話しているのを見たという。ややもすれば子供は美術鑑賞の対象者から切り捨てられる傾向がある
が、実は子供にもしっかりした鑑賞能力が備わっているという。田中さんの語り口には、コレクター以前に、教
育者としての顔がのぞいていた。

コレクターの田中恒子
さんのこと

11月10日

年に一度、恒例のギャラリスム展が、先週末で終わった。この展覧会、アートフェアーに準ずるような催しだが
会場の関係で、商業行為ができない。だから見せるだけの展覧会だ。会場構成も、ブースに区切るわけでは
ないので、一見すると普通のグループ展に近い。だが、画廊が主体になって、その年の「いちおしし作家」の作
品を並べるので、出展画廊の個性が反映されて、楽しいイベントに仕上がっている。
「ギャラリズム」の名前では、6年目だが、それ以前は「画廊の視点」と呼ばれて10年、さらにその以前には、「大
阪アートフェアー」の名称で10年続いた。通算すると26年になる。その間、出展画廊の顔ぶれも大きく変わった。
袂を別った面々は、今、堂島アートフェアーに移っている。あちらは商業目的をはっきりとうたっている。
ただ「みせるだけ」のこのギャラリズム展が、目的とするところは、現代美術の受容層を増やし、画廊に足を運ん
でもらうことにある。あまりにも純粋で、絵に描いたもちのような目的なので、実際どれほど達成されたかを実感
するのはむずかしい。ただ、このところ、毎年2000人以上の入場者を数えている。同じ現代美術センターを会場
とする他の展覧会と比較しても、十分誇れる数字ではある。
実は不安材料がある。橋下府政の財政再建計画の下で、来年9月末で、この現代美術センターが廃止される。
正確には、会場の名称が変更されて、江之子島のほうに移転するのだが、移転計画の全貌がまだ確定してい
ない。ギャラリズム展は、来年少し前倒しにして、センター廃止直前の9月後半にできる見通しは立ったが、その
先は、確かではない。
文化の発信力が問われている大阪で、私たちのイベントよりも、御堂筋のイルミネーションが優先される理由が
どうしてもわからない。

ギャラリズム展の前途

11月16日

内藤と亀田のタイトルマッチを見た。試合が始まる前の下馬評では、判定で内藤やや有利というものだったが、
ふたを開けてみると、意外と冷静な亀田に対して、内藤は珍しくハイテンションで、チャンピオンの面子におぼれ
た感があった。結果は12R亀田の判定勝ち。内藤が選手年齢としては高齢にもかかわらず、鼻骨が変形した
ほどのパンチを浴びながらも持ちこたえたのは、過酷なトレーニングに耐えたからだと思われる。その点は見
事といえるが、やはり体力の限界なのだろうか。対して亀田は、緻密な計算どおりに戦った。もちろん肉体的な
若さも有利に働いた。だが、若さというには、1回くらいは内藤のダウンをみせてほしかった。判定勝ちは私の想
定外だった。結局は、内藤を研究し尽くした亀田の勝利ということだろう。
教訓。冷静な方が勝利する。

終始冷静な亀田

11月30日

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