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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

2006年
2008年

第2回の神戸ビエンナーレが始まった。船に乗って、2会場を移動しながら、作品を見ることができる
というので、興味を感じて見に行った。
あいにく、土砂降りに近い雨だったが、港町神戸という立地条件を生かした主催者の意図は、十分伝
わった。いまや神戸のカリスマ作家である榎忠さんが、自ら出品した大砲の作品を使って、オープニ
ングを飾る祝砲を撃つイベントは、圧巻だった。もちろん実弾ではなく、アセチレンガスを燃焼させる空
砲だが、爆発と同時に大きな拍手が起こった。この大砲、吹きぬけに設置されたとはいえ、室内展示。
大きな音に、管理上の制約を課さなかった美術館の英断に敬意を払いたい。

神戸ビエンナーレ
始まる

10月2日

リーマンショックから約1年後、久々に韓国のソウルを訪れた。世界的な不況だから、暗い表情かと
思いきや、意外とソウルは明るかった。仕事柄、インサドン(仁寺洞)と呼ばれる通りを何度も往復し
た。ここは、もともと、画廊や骨董店がひしめく、どちらかといえば地味な町だったが、近年みやげ物
を売る店が激増し、美術品に興味のない観光客もどっと押し寄せるようになった。ソウル市当局も、
観光客の利便に合わせ、数年前にまず通り全体を北から南への一方通行にした。そしてずっと未舗
装だった通りを、舗装した。ここまでが、1年前の様子。このたび行ってみて、驚いた。この通りの北
からの進入口が、完全にふさがれていて、車が締め出されていた。そして通りの舗装は、石畳に作り
かえる工事が進行していた。しかも工事中の囲いには、「仁寺洞通りの改良工事中です。」という日本
語の表記も掲げられていた。日本からの観光客を意識した、心憎い演出なのだろうか。
相変わらず、日本人観光客は多い。中年のヨンさまファンだけでなく、若い女性のグループも目立つ。
この1年で、日本円がウォンに対して50%以上も高くなって、何でも安く感じる。ショッピングには最大の
好機だろう。今回は、日本人に混じって、中国人観光客も激増していた。1日目はわからなかったが、
2日目3日目になると、見ただけで日本人と中国人の区別がつくようになる。顔かたちで判別するので
はない。ほとんどの日本人観光客は、2,3人で行動する。これに対して、中国人は5,6人かそれ以
上だ。そっと近くに寄って、話し声が日本語か中国語を確認したら、正解率は8割以上あった。
友人の韓国人に聞いたら、中国人は高慢だから嫌いだという。そういえば、中国での統計では、日本
人と韓国人のどちらが好きかという問いに、大半が「日本人」と答えたそうだ。三角関係というのは、や
やこしい。
私の仕事は、この通りにあるキムジンヘ画廊で、脇山さとみの展覧会をサポートすることだ。この画
廊、実は昨年末にこの通りから別の場所に移転する予定だった。それが、リーマンショックで延期に
なった。そろそろ韓国経済も落ち着きを見せているので、やはり2年後をめどに、再度移転を考えて
いるという。このインサドンが、あまりにも観光地化して、落ち着いた雰囲気がなくなってしまったから
だという。この通りを訪れる人種が入れ替わるにつれ、通りの趣も変化していく。

仁寺洞(インサドン)
の変貌

10月19日

時折はじめての人が、私の画廊に来ることがある。先日、展示作品の写真を撮っていたら、たまたま
やってきたお客様が、「あっ、作家の方ですか?撮影中すみません。」と言われた。「いや、そうじゃな
いんですよ。かまいませんから、どうぞ。」って私が言うと、少しさめた表情で、「写真屋さんですか?」
と再び聞かれた。「いいえ、私は画廊主です。」と答えると、「ああ、そうですか、それは、、、」で、答え
が途切れてしまった。よくあることなのだが、このことは、画廊主の地位をよく表している。自分が所有
している画廊のスペースで展覧会をしていても、序列はまず作家、次に作家の関係者、最後に画廊主
なのだ。本当は、そこで、「ここは私の画廊なのだ!」と大きな声で叫びたいのだが、画廊主には、最上
の謙遜が要求される。言い換えれば、いかに黒子に徹するかが、画廊主としての不文律なのだ。これ
は、古い画廊であろうと、新しい画廊であろうと、共通の不文律。思うところのある画廊主は、ここでや
むをえないフラストレーションを味わう。そしてそれが繰り返されると、孤独感につながる。
巷の零細企業の代表者も同様だ。ただ、画廊主は、作家と二人三脚を組むことで、作家とともに、いつ
か日の目を見ることを分かち合うことを生きがいに、日々奮闘している。一生の中で、二人三脚を組める
相手はそう多くない。古物商なら評価がほぼ決まったものを扱うので、息子や娘にも継がせることがで
きるが、現代美術は「なまもの」なので、原則的に継がせることはむずかしい。それが孤独感に拍車を
かける。
世間の皆様、画廊主はとても孤独なのです。

画廊主は孤独

10月24日

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