2007年
2005年
2004年

2009年8月



トップページに戻る
お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

2006年
2008年

今日から「堂島リバービエンナーレ2009」が始まった。東京発のイベントで、ディレクターは、シンガ
ポールビエンナーレのコミッショナーでもある南條史生氏。森美術館の館長といったほうが早いかも
しれない。主催は、昨年オープンした堂島リバーフォーラムだが、南條氏の企画をまるごと買った即
製の展覧会だ。展覧会の中身は、シンガポールビエンナーレのミニチュア版。巡回展だと思えばあり
がたく拝見できるが、大阪の人間がかかわらない展覧会が、大阪に根付くかどうか、大いに疑問が
残る。
もともと大阪は、東京以上にアジアとの付き合いが長くて深い。それゆえに、かつての「大阪トリエン
ナーレ」は相応の成果をあげた。そのときの入賞作品は、あとでできる予定だった府立現代美術館の
収蔵品におさまる予定だった。その後、美術館建設計画が頓挫したものの、作品は少ない文化予算
をやりくりして、何とか展示の機会を設け、府民の鑑賞に供されている。
この日、その「大阪トリエンナーレ」を口にする人は、私の周りには誰もいなかった。PRも行き届いて
いないのだろう。何もかもが過去に葬られたようで、大阪を愛する人間にとっては、とても悲しい。
唯一救われたのが、出品者の一人の松蔭浩之君に会えたことだった。福岡生まれの彼は、大阪芸大
の学生時代、毎週のように画廊にやってきた。卒業後福岡に帰り家業を継ぐべきかと相談を受けたこ
ともあった。アルバイトを紹介したこともあった。数人集めて、英語のレッスンをしたことがあって、彼も
受講した一人だった。結局、親の反対を押し切って、彼は東京を目指し、ミヅマ・アート・ギャラリーの
目にとまり、メジャーデビューを果たすことができた。その後、ベニスビエンナーレをはじめ、海外で活
躍する機会も多いが、この日、「あの時習った英語が役に立って・・・」と感謝された。
さて、その松蔭君のパフォーマンスだが、透明なビニールの覆いの中で1000本近いビンを叩き割るも
のだ。単純といえば単純だが、SとMが入り混じる妙な感覚におそわれる。そして最後に近づくにつれ、
切ないような、悲しいような思いがしてくる。最後の1本を叩き割って、ハアハアと息をはずませて退場
するさまは、痛々しい。この終わり方は、東京流なのだと思った。大阪では、みんな「オチ」をほしがる。

堂島リバービエン
ナーレ開幕


8月7日

写真は、私が住む町の自民党公認候補の事務所。黄一色に、ピンクで「誠実に」の文字。よく目立つ。
どこの選挙事務所でも、目立つことは考えるが、センスは今ひとつ。よく見ると、「誠実に」の文字が、
だんだん小さくなって、下に沈んでいる。まるで自民党の没落を象徴するかのようなデザインだと思っ
たが、まてよ、候補者自らがそんなことを考えるはずがない。これは、逆に、小さな「誠実に」が、だん
だん大きく実ってゆくさまを現したかったのだ。確かに、そう見れば、そう見えないこともない。はてさて
まるで正反対の見方だが、果たしてどちらに分があるのだろう。デザインの基本から言えば、だんだん
しぼんでゆくイメージを避けるために、たとえば、ラッパから出た音が拡がるように、左下から右上への
展開をレイアウトする。「誠実に」の文字もそれなりに傾かせたりする。そうすることによって、落下する
イメージを断ち切り、上昇するイメージだけを印象づけることができる。この看板原稿を作った人は、デ
ザインの基本がわかっていないのだろう。
もうひとつ、心理的な要因もある。私は頭から自民党の凋落を予想している。そういう意識で見るから、
沈下して行くように見えるのだ。候補者自身は、何とか支持を集めようという意識があるから、上昇して
ゆくように見えるのだ。先入観というものは、大きな威力を持っている。だからこそ、デザインが重要に
なる。
6日後には、大きな審判が下る。この候補者は、最後までこのデザインで通すのだろうか。

「誠実に」は浮上する?
沈下する?


8月24日

11月
10月
1月

2009年

2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月