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2007年11月



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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

2006年1-12月分

今週初めから毎年恒例のイベント「ギャラリズム」が始まった。気になるのは入場者数。別段
入場料を取るわけではないので、金銭的な問題ではない。反響が問題なのだ。人数の目安は、
1日200人。200人を超えると、大阪府立現代美術センターの会場は、にぎわっているという感じ
になる。それ以下だと、やや閑散とした印象を免れない。人がたくさん入ればそれでいいという
問題でもない。たくさんのひとが来れば、そのあとに参加画廊に足を運ぶ人も増える。最終的
にはそれを期待している。
今年は、現代美術センターが、私たちの画廊の会との共同主催から離れて、私たちの会の単
独主催になって初めての年だから、余計に気にかかる。会期は来週末まであるが、おおよその
傾向は、今でもある程度つかめる。残念だが、低調の一言につきる。

もともと、この「ギャラリズム」は、展覧会のメッセージ性が弱いと批判されてきた。それを認
識した上で、改善を加えてきたつもりだが、わたしたちの気づかない原因が、ほかにあるのか
もしれない。反省会では、徹底した討論が必要だ。

ギャラリズム開幕

11月1日

9月分
10月分

民主党の小沢代表が、会見を開き辞意を表明した。突然のことなので、何のことかわからなか
ったが、自民党との連立をめぐって、党内の同意を得られなかったことが原因らしい。
この人、実は「こわし屋」で有名だ。自ら立ち上げたプロジェクトが、軌道に乗りかけたところで

トップから降りる新進党のときもそうだった。だが、今回は、参院選の勝利を獲得し、やっと
二大政党が現実性を見せ始めたときだけに、なぜという疑問が残る。
一方ほっとしたのは、自民党。これで民主党は弱体化し、次の衆院選は、何とか乗り切れると
踏んでいるだろう。
メディアは、今回の発端が、小沢代表自らが自民党に連立を持ちかけたことによるとしているが
これはどうも陰謀くさい。自民党がこうなる結末を承知の上で仕掛けたのではないか。むろん
ことが成就しなかったときに、潔く身を引く小沢氏の性格をよく承知した上での話だ。次なる手は
さらに民主党に揺さぶりをかけること。つまりは、脱落組を作って、自民党に吸収すること。政治
は数の世界だから。多数派を作ることが至上命令だ。門外漢の私にも、第2幕が容易に想像で
きるのに、百選練磨の小沢代表が、このことに気づかないわけはない。承知の上で辞意を表明
したのなら、これはもうほんとうに「こわし屋」だ。

またも「こわし屋」か

11月4日

小沢代表が、辞任を翻して、もう一度代表を続投することになった。民主党幹部の猛烈な説得
を受けての再登板表明だが、政治の世界の出来事としては、いささか子供じみた寸劇だった。
復帰の焦点はただ一つ、来るべき衆院選挙にある。参院での勝利を衆院でもという点で、大同
団結は可能だった。あと一息で政権奪取は可能という実感は、すべての民主党員に共通して
いるだろう。
世論も、この程度で辞めることはないという意見が大勢だった。それどころか、自民党も、隙に
乗じて民主党の分断、自民党への鞍替え勧誘に走るかと思いきや、意外と冷静で、小沢代表
への同情論も出る始末。なんとも歯切れの悪いままの2日間だった。
昔の私なら、この間の出来事を茶番劇だと酷評したに違いない。だがいまは、ほっとした気持
ちに浸っている。やはり本番・衆院での逆転を見たいのだ。

小沢代表の続投

11月7日

gallerism展が終わった。なんとも後味の悪い展覧会だった。と言っても、これは主催者として
裏方の話で、展覧会をご覧頂いた方々には、別の感想をお持ちだと思う。
思えば初日からごたごた続きだった。地下のB室では、初日オープンの時間を迎えても展示
が完了していなかった。また、不特定多数の人々が自由に出入りできるスペースとしては、や
や問題のある作品が、入室手前の廊下から目に入る位置にあった。だが、それよりも、会期を
2日残した時点で、B室の展示グループ「ネガティブアート」のリーダーである笹山直規さんが
突然壁面から自分の作品を引き上げてしまった。前代未聞の出来事が起こったのだ。
原因やいきさつ、事後処理その他のことについては、ここで触れるつもりはない。
主催者として一番残念なのは、展示作家の行動を引き止められなかったことだ。この展覧会
は、画廊が主体になる展覧会で、画廊の目を通して出品作家と作品を選ぶ。作品の展示には
各画廊の責任がかかっている。それは、各画廊の出品作品については、その画廊の判断に
基づくということであり、他の画廊からの干渉がないことを意味する。

実は、この構図が,、毎回指摘される「展覧会のねらいがよくわからない」という批判の原因にな
っているようなのだ。思えば20数年前、「大阪アートフェア−」として発足したこの展覧会の前身
が、その10年後に「画廊の視点」と名を変えたのは、商業行為と一線を画して、質の高い作品を
展示することにねらいがあった。3年前に再び名前を「ギャラリズム」に変えたのは、画廊をより
身近なものに見る人に感じてもらうねらいがあった。だが、アートフェア−以来の骨格はいまだ
に引きずっていて、展示の詳細はあくまで各画廊まかせの状態。展覧会として強いテーマを盛
りこむには、画廊の垣根を取り払う必要がある。時代的主張が貫かれた展覧会にするには、一
から考え直す必要がありそうだ。

gallerism展がおわって

11月10日

福田首相の訪米の模様をテレビで見た。ペルシャ湾での給油再開に最大の努力をしていると
ブッシュに対して弁明したらしい。そして日米同盟を再確認したという。政府・自民党の外交政
策の根幹が、この「日米同盟」だが、正直言って、これは私の嫌いな言葉の一つだ。
日米同盟そのものをうたった条約は、日米間には存在しない。「日米同盟」は、日米安保条約
によって、日本が他国から攻撃された場合に、アメリカが守ってくれるという関係を総称した言
葉にすぎない。しかもそれは片務条約、つまり、日本をアメリカは守るとは書いてあるが、アメ
リカを日本が守るとは書いていない条約であるから、対等な「同盟」とはいえないことだけでも
問題なのに、軍事上の垣根を越えて、広く両国の経済・社会的関係にまで、この「日米同盟」
が使われることが多い。しかも今自民党が急務と称するペルシャ湾の給油再開が、なぜ日米
間だけの取り決めである安保条約の範囲に含まれるのか、さっぱりわからない。国際社会へ
の貢献のためにも給油再開が必要ともいうが、そもそも、国際社会の、誰がいつ日本に給油
を要請したのか。国連の決議またはそれに準ずるものがあるなら、見せてほしい。事実は、
アメリカからの要請に応じたに過ぎない。もし原油の高騰の原因の一つが、このペルシャ湾で
の給油にあるとすれば、私たちは二重の意味で負担を強いられていることになる。そして、世
界の富が、大きくイスラム圏に移動し、「肉」を切ったら、「骨」を切られる結果を招くことになる
かも知れない。地球規模の温暖化を真剣に考えなければならない現在、もう少し展望のある
政策が無いものだろうか。

日米同盟と給油再開

11月18日

ここ数年、画廊で作品が売れることがとても少なくなった。一言で言えば,景気の回復が遅れ
ていて、個人消費が低迷しているためだが、他の業界に比べて、落ち込みようがひどい。
作品のレベルが落ちているわけではない。美術ファンが激減しているわけでもない。原因の
究明はさておいて、作品を見るひとが残す感想に気になる言葉使いがある。「・・・けど、・・・」
というのがそれだ。具体的には、「いいんやけど・・・」、「ほしいんやけど・・・」となる。「・・・」は
言葉が無くて余韻になる。
昔の大阪人は、こんな言い方が無かったように思う。大阪人のラテン的な気質には弁解が
ましい表現は似合わない。いまは、それだけ大阪人が自信を無くしているのかもしれない。
そうだとしたら、これは本当に大変なことで、大阪の未来にもかかわる問題だ。だれか、同じ
ことに気づいた人がいらっしゃれば、ご意見を伺いたいと思う。

大阪人気質は
かわったか?

11月23日

12月分