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2007年9月



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お叱りのお言葉,ご意見など
画廊主
   の
独り言

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

2006年1-12月分

上海の町

9月4日

先週、上海を旅行した。中国は今春のチンタオについで、2回目だ。だが上海は大都会。よく
も悪くも中国パワーが、集中している町だ。到着したのが、夕刻のラッシュアワー。空港から
リニアモーターカーで市内の外れまで行って、そこで地下鉄に乗った。車両が停車すると、
乗り込もうとする客がドアになだれこむ。降りる客なぞかまっていない。降りる客は必死で突
きぬけようとするが、服もかばんも、くしゃくしゃになって、やっとのことでホームに転げ出る。
20年前にソウルの地下鉄で見た光景と同じだった。今のソウルの地下鉄は、ずいぶんマナー
が良くなった。
市内は車であふれ返り、あちこちで渋滞が起きている。割り込みはお構いなし。走り出すと猛
スピードで、車線変更を繰り返し、やたらクラクションを鳴らす。タクシーの後部座席から見る
光景は、アクション映画に等しい。とても心臓に悪い。
当然に町の空気は、排気ガスや粉塵で、朝からかすみがかかっている。息をしていると空気
に味がするのがわかる。2日目からは、目が痛くて、瞬きの回数が増える。
こういうところでは、人はたくましくなるのだろうか。それともだんだん弱ってゆくのだろうか。

安倍首相の突然の辞任表明に始まった政治ドラマは、正視に堪えない場面の連続だ。辞任す
るなら、参院選で負けたときに潔く辞任すべきだったのは、あたりまえのこと。しかも、続投に意
欲を見せたかと思うや否や、政権を投げ出して病院に雲隠れというのは、大人のすることではな
い。こんな男を一国の宰相に仕立て上げた自民党は、何の反省もせずに、ひたすら後継レース
にまい進している。これが一般の企業なら、経営陣は総退陣。株主総会で、相当の突き上げを

食うに違いない。日本の政治は幼稚園程度の未熟さであることを、世界に発信してしまった。
後継レースが始まってからも、首をかしげることだらけ。憲政の手順どおり、いちはやく立候補の
意思を固めた麻生氏が、一歩リードするかと思いきや、あとから神輿に担がれた福田氏が、あっ
と言う間に、多数派を制した。福田氏に明確な政治ビジョンがあったわけではない。勝ち馬に乗
ろうという力学で、浮上したに過ぎない。おだてに乗った福田氏は、あわてて自らの政治ビジョン
の作文をはじめた。茶番劇としか言いようがない。民主主義に本道というものがあるなら、麻生氏
のほうが、よほど政治家らしい。この5日間で、8割方の支持をあつめた福田氏が、どうやら総裁
を手中にするのは間違いないだろうが、こんな選び方しか出来ない自民党に、もう明日はない。
この際麻生氏は、自民党を見捨てて、民主党に鞍替えしてはどうか。そうすれば、衆参ともに民
主党が多数派を制し、日本の憲政史上、画期的な1ページを残すことになる。後の歴史家からも
高い評価を得られることにもなるだろう。
茶番劇のきわみは、小泉チルドレンたちの動きだ。どう考えても蚊帳の外におかれる彼らは、事
もあろうか、小泉元首相の最登板を求めた。次に選挙があれば、ほとんど落選間違いなしの彼
らだから、「寄らば大樹の陰」を求めざるをえない。だが小泉氏は動かなかった。あたりまえだ。
小泉氏は渦中の栗を拾うほどバカな政治家ではない。ダメだと悟ったチルドレンたちは、さっさと
福田氏のもとに走った。こういうのを、世間では「無定見」という。
まだ数日間茶番劇は続く。

政界の茶番劇

9月16日

茶番劇にふさわし
いイラストはありま
せん。

安倍首相を病気にさせ、辞任にまで追いやった最大の原因は、中東に派遣する米海軍への給
油を続けるための法改正が、参院選の敗北で、非常に難しくなったためだ。急に自身がなくなり
うつ病が一気に加勢したらしい。しかし、この問題は、果たして日本に対するアメリカの至上命令
だろうか。長引く派兵への反省で、もはやアメリカ議会では、撤収派が多数派だ。日本の活路は
彼らと連携することではないのか。それが本当の政治家のすることだ。
第一、日本がアメリカに忠義を尽くしても、アメリカは意に介していない。北朝鮮に対する態度の
豹変振りが、その顕著な例だ。おそらく、埒問題には一言も触れずに、アメリカは早々に北朝鮮
を「敵視国」扱いからはずすだろう。日本は完全に置いてきぼりを食っている。アメリカとの二国
間協議を言いつづけてきた北朝鮮に、一歩も二歩も譲るのは、北朝鮮内で着実に利権を獲得す
る中国を横目に、色目を使う気分になったからだろう。もちろん北朝鮮自体が弱体化した背景が
ある。
そんなアメリカに、給油問題で献身的に尽くす必要があるだろうか。ましてや、そのことで一国の
首相が交代するなんて、パートナーシップを逸脱しているとしか言いようがない。

パートナーシップの
逸脱


9月17日

]

8月分

安倍首相の入院が長引いている。日本はいまやトップがいない状態だ。何か事が起きたら、一体
どうするのだろう。こんなときになぜ臨時の首相を立てないのだろうか?万一首相に事故があった
場合、臨時の首相を立てることが法律で決まっている。日本は大統領制ではなくて、議会制民主
主義の国だ。執行府である政府に比べて、議会の比重は大変重い。その議会が、安倍首相の入
院で開かれないままだ。これはあべこべではないのか。議会軽視もはなはだしい。またこのことを
どの議員も口にしないのはなぜだろう。危機管理意識がなさすぎる。それで何事もおこらないなら、
いっそ国会も政府も廃止したら?

開かれない国会


9月21日

戦後すぐに前衛的な陶芸活動をはじめたグループ・四耕会の展覧会を見に行った。場所は京都
岡崎公園西のギャラリー16。前衛陶芸といえば、八木一夫らの「走泥社」が有名だが、四耕会は、
それに先行して、同じ京都で、1947年に活動をはじめた。今から60年も前のことだ。会場には林
康夫・鈴木康之らの当時の作品が展示されていた。さすがに60年の歳月は作品の輝きに水を差
していると察したが、壁に掲げられた説明には、八木一夫の「ザムザ氏の散歩」に先行すること数
年という表現で四耕会をたたえていた。ただ、私の考えでは、「ザムザ氏の散歩」はいまだに輝きを
失っていない。そこが少し違う。それから、妙なことだが、30年近く韓国の美術界を見てきた私の
目に、現在の韓国の前衛陶芸と驚くほどの類似性が見えた。他の人がこの展覧会をどう見たのか
聞いてみたい

前衛陶芸「四耕会」
の展覧会を見た


9月19日

20年近くのお付き合いになる舞踏系ダンサー・虫丸さんの公演を見た。先週ふらりと画廊に姿をあ
らわし、「昨日屋久島を出て、宮崎からフェリーに乗って大阪に今朝着いた。」と言っていた。その
後名古屋方面で、いくつか公演をこなし、ふたたび大阪に戻ってきた。
松屋町にある古い民家を改造したカフェでの公演だった。あと数年で60を迎える虫丸さんだが、踊
りは衰えを感じさせない。ただ、音楽がいけなかった。ディジュリドゥはいいのだが、同時に加わった
名前のわからない中東の弦楽器(日本の琵琶に似ていた)の奏者が、ひとり浮いていた。この奏者
おそらくはひとりで演奏すると、上手なのだろうが、コンテンポラリーダンスのバックミュージックに
は無理がある。基本的に、リズムを中心に展開するバックミュージックだが、この奏者は、むりやり
中東の旋律を持ち込もうとする。その不協和がたまらない不快感をもたらす。
虫丸さんのソロダンスが終わって、音楽だけのセッションがはじまると、さすがに席を後にした。ふり
かえると後ろで、ダンスを終えた虫丸さんと目があった。にっこり笑っていた。小さく手を振って返し
た。すべてが通じた。

舞踏系ダンサー・
虫丸さんの公演


9月22日

自民党総裁の投票結果をテレビで見た。麻生氏がどれほどの票を集めるのかに興味があった。
結果は200近くの票だった。当然過半数にははるかに及ばないが、100そこそこと思っていた私
には、意外だった。この数字は、しかしながら、自民党の内部崩壊が、思う以上に進行している証
拠だとみた。民主党の小沢氏は、この結果を、しっかりと自らの勝機の判定材料に捕らえているに
ちがいない。面白いレース展開になりそうだ。

自民党総裁の投票
結果を見た。


9月23日

京都・奈良・大阪・神戸の14の現代美術を扱う画廊が集まって、毎年1回「ギャラリズム」という共同展
を、府立現代美術センターで開催しているが、3年前から、私がその事務局を務めている。
今年は関連イベントとして、かなり硬派のテーマだが、「指定管理者制度」をあつかうシンポジウムを企画
している。その会場探しがまた大変で、この2ヶ月ほど、私も、ずいぶんたくさんの貸し会議室を探し回った。
貸し会場が少ないわけではない。できるだけたくさんの人に来てほしいので、夕方からの開催を希望するも
のの、ほとんどの公立あるいは独立法人の会場は、利用時間が夕方まで。結局夕方以降は民間の会場
に頼らざるを得ない。
最終的にこのイベント担当者が見つけたのが、現代美術センターに隣接するNS21ビルの貸しホール。使
用料がいくぶん安い。何よりも近いのがいい。
最近このビルの持ち主が、私の画廊仲間がよく知っている人ということがわかった。事務局の私としては、と
ても耳寄り情報だ。交渉次第で、貸料をまけてもらえるかもしれない。あるいは、うまくゆけば、展覧会の趣
旨に賛同いただいて、逆に賛助金がいただけるかもしれない。ここは事務局の腕の見せ所とばかりに、名刺
と資料を携えて、持ち主の会社を訪ねた。会社は当のホールの有るビルの中には無かった。200メートルほ
ど離れたところにも自社ビルがあって、その中にあった。そこで総務の人に面会を求めた。待っている間、どう
いう風に話を切り出そうかとか、一番大事なことはとか、いろいろ考えたのだが、結果はなんともあっけないも
のだった。出てきた総務の人いわく、「昨年の春に、そのビルは他社に売却した。」
実は、少し前に、Z社の名前で、このホールの使用申込書が届いていた。私は、てっきり、このZ社は、ビル
の持ち主の別会社だと思っていた。税務上、業務の一部を別会社に移すのはよくあることで、たいして疑問
に思わなかったのだが、実際にはこのZ社が昨年買い取ったのだ。
話がわかれば、いざZ社に行かん。Z社は駅前第4ビルの中にあるようだ。私の画廊から、歩いて5,6分。Z
社は、はたして、貸しビル業という雰囲気ではなかった。明るい感じだが、すべて小部屋に仕切られた閉鎖
的なオフィスだった。内線で申し込むと、貸しホールの担当者がすぐにきた。若いOLだった。「借りていただく
件はオーナー様の承認ももらっておりますので・・・」 私は「オーナー様」という言葉を聞き逃さなかった。「私
の画廊も近くですし、お支払いの件もありますので、一度ご挨拶でもと思い・・・」と言いつつ展覧会の資料
を渡し、頭の中では、この会社がどんな会社なのか、探っていた。
実は、最近流行りの投資家集団だった。物件の権利を複数の投資家に分割し、運用益をはかる。だから
「オーナー様」だったのだ。
私はすっかり冷めてしまった。これじゃ賃料を負けてもらうどころではない。賛助金なんてさらさら無理。オー
ナーが複数で、顔が見えないのだから。
見事三振の結末ですが、投資家集団のビジネスって、難儀やなー!
 

貸しホールの交渉
顛末記


9月26日

10月分
11月分
12月分