2006年1-12月分

このページは、天野画廊の画廊主・天野和夫の、きわめて個人的な出来事を綴ったものです。
画廊の仕事が、一見個人的であるにもかかわらず、社会的な機能を果たしているありさまを、
おわかりいただけるかと思います。
自他ともに、プライバシーには慎重に配慮いたしますが、うっかりと逸脱している場合は、すみ
やかにお叱りのお言葉をお願い申し上げます。                天野画廊 天野和夫

画廊主
   の
独り言
お叱りのお言葉,ご意見など
トップページに戻る


2007年5月

2004年6-12月分
2005年1-12月分
2007年1月分
2月分
3月分
4月分

5月が来ると、JR福知山線の事故を思い出す。大学時代の友人がこの事故に巻き込まれて
死亡した。数日前まで会話を交わしていただけに、本当に信じられない出来事だった。その
前年には、高校時代から親交のあった先輩が、ガンであの世に旅立った。5月は、私にとって
つらい思い出が多い。そして私自身、今年で還暦を迎える。昔なら、人生の総決算。今は、余
生が長いので、総決算とはいかないが、それでも中間決算よりは重い。まだできることや、や
り残したことを考えてみようと思う。

5月はつらい

5月3日

前大阪府知事の横山ノックが5月3日ガンで死去した。75歳だった。漫才師から参議院議員を
経て大阪府知事になったが、選挙運動中の女子運動員へのセクハラ事件で失脚。その後の
芸能界復帰も十分果たせないまま、あの世の人となった。大阪府立現代美術館の構想が、当
時のノック知事の裁断で頓挫してしまった話は、一般には知られていないが、非常に残念なで
きごとだった。後を受けた太田房江知事も、文化に関心の薄い人のようだから、大阪の文化の
地盤沈下もまだまだ続きそうだ。戦前は、一時東京と肩を並べるほどの力があった大阪だが、
いまやケタ落ちの力しかない。かといって、地方都市よりはずっと強い。そんな中途半端さが、
大阪の振興のネックになっているのだろうか。大阪を愛する私としては、誰か的確な診断を下
してほしいと、切に願っている。

横山ノック死去

5月4日

現在開催中の個展の作家、ホン・ヒュンキさんの作品は、技法で言えば、墨によるドリッピング
で、たっぷり墨を含ませた筆を画面に押しあてて、自然にたれ落ちる墨の痕跡を画面に定着さ
せている。若い頃は、色彩を使っていったん描いたイメージを、墨で塗りつぶしてゆく作品がほ
とんどだったが、10年程前から、色彩を使うのをやめ、塗ることもやめ、ずいぶんおとなしい、余
白の多い作品に変わった。力まかせに画面を作ることから、画面で遊ぶことに変わったとでも言
えようか。だが、単に墨のしずくが、重力の法則でたれ落ちるのをよしとした作品ではない。最初
に筆を落とす位置が大事だし、墨の色も濃淡5段階ほどに使い分けている。理性的な押さえが
十分に効いた作品だ。
会期中、作品を見に来る人の中に、困った早合点をする人がいる。この作品が、アクションペイ
ンティングの一種で、日本の具体(かつて吉原治良が率いた具体美術協会)の影響を見ることが
できる、というのだ。冗談じゃない。具体とは似て非なるもの、と私は説明するのだが、それでも
最後には、「海外で同じようなことをやっている人がいるのを見るのは、嬉しいですね。」と言って
帰る。どこまでも頑固な、具体クレイジー。もうつける薬はない。

困った具体クレイジー

5月11日

私事ながら、本日で満60を迎えた。特に感慨というのは無いが、肉体的な衰えは、ひしひしと感じ
る。一つ違い、つまり来年還暦を迎える風流な友人がいて、励ましの歌を詠んでくれた。

掃除機の 音もかろやか めでたしの 六十路の祝い 五月晴れかな

次は、私からの返歌

掃除機の 唸りに似たる わが人生 鳴り止むときぞ 忍び寄りけり

まあ、冗談を言っておれるうちは、よしとしましょう。

六十路来たれり

5月18日

先週から、脇山さとみの陶芸展をしている。この展覧会には、「市井の人びと」というサブタイトル
がついている。この「市井」だが、<いちい>とは読まない。<しせい>と読む。残念なことに、正
く読める人は10人に1人、あるいはそれ以下だ。昔、中国で、井戸のあるところに市が立って、人
が集まったところからきている言葉だそうで、要するに「まち」とか「ちまた」の意味。大学の入試に
出題されそうな熟語なので、二十歳前後の人たちは幾分知っているだろうと思いきや、これが全
滅。50を超えても知らない人がほとんどなので、年代に満遍なく、縁の薄い言葉のようだ。さすが
に60以上の人だと3割程度はご存知のようだ。文学、とくに漢文や古文の素養のある人には、難な
く読める。言ってみれば、死語に近いのだが、ちなみに、パソコンで「しせい」と入力してみたら、き
ちんと「市井」と出た。ほっとした。
先週半ばから、画廊の入り口に、「市井」の読みと意味を、辞書から書き写し、貼りだしている。

市井は<いちい>では
ありません


5月21日

英訳をすることは、ちょっとした頭の体操になる。「市井の人びと」を英語に直すと、どうなるか?
もともと、脇山さとみのこれらの作品は、昨年まで、<Private Persons>という英語のタイトルが
付けられたシリーズの最新版だ。だから、当然のことながら、<Private Persons>が、英語訳その
1になる。その2以降は、「市井」の解題から入る。井戸に人が集まり、町ができる。そこに市がた
つ。「まち」とか「ちまた」の意味だから、素直に<Town People>あるいは<Down Town People>と
なりそうだが、<Town People>は、<Village People>の反対語になるから、ただ単に「町のひと」
というよりは、田舎の人に対する「あかぬけた町の人」というニュアンスがでてくる。そういうニュア
ンスを、脇山さとみは求めているのではない。それなら、<Down Town People>はどうか?あるい
は、より英語らしく、<People in Down Town>でもよい。これは、「下町の人びと」の意味だから,
<Town People>よりは、原題に近い。だが、これにも難点がある。<Down Town>は<Up Town>の
反対語だから、上流階級の人たちが住むところに対する、下層階級または低所得者層がすむと
ころ、というニュアンスが出てくる。近いとはいえ、脇山さとみの意図の半分くらいしか反映されて
いない。なぜこういうことが起きるのか?実は「市井」には、時の支配者階級が統治する「被支配
者のすむ地域」という隠された意味が存在する。この隠された意味をうまく英語で補ってやらねば
ならないのだ。これはちょいと難しい。「統治する」を表す<Govern>(=政府・ガバメントの動詞形)を
用いて、短絡的に<The Governed People>とやってしまうと、植民地の原住民を連想して、まるで
かけはなれた感じになる。美術の領域の言葉ではない。このようなチグハグが起こるのは、日本
語と英語がそれぞれ背負っている歴史的背景が違うことによる。したがって、双方が接点を共有
する言葉を選ばなければ、翻訳が成功したとはいえない。その場合、意味が軽くならないような
配慮が必要だ。たとえば、解説を抜きにして、英語訳その5<People on The Street>はどうか?
「街行く人びと」のような感じで、「市井の人びと」にきわめて近い。だがこの言葉、新聞の社会面
の記事には使えるが、果たして美術の領域では軽すぎる。こうして、あれこれ迷走するうちに、や
はり<Private Persons>に帰着することになる。

英訳は頭の体操

5月25日

松岡前農水相の自殺についで、彼に裏献金したとされている山崎進一元理事(特定森林地域
協議会)が、自宅マンションから飛び降り自殺した。どうやら山崎氏は、松岡氏だけではなく、
広く自民党の有力議員に裏献金したらしい。どこかから大きな力が加わって、口封じのような
「自殺」だ。マフィアの映画を見ているようで、寒気がする。二人とも検察の動きを察して、自ら
決断した、と言うのは状況説明であって、真の原因は別にあるのは自明のことだ。お悔やみを
述べる安倍首相の顔が、なんとも白々しく見える。政治の世界は怖い。自民党の中で、自らの
命をかけてまで守りぬかねばならない裏金問題があるのだろうか。
当然ながら、二人が死んで、問題が決着したわけではない。これで幕なら、今秋の選挙に自民
党は、必ず負ける。

連鎖自殺に思う

5月29日

和光大学の三上豊さんから、活動記録集「靱(うつぼ)ギャラリー」が送られてきた。B6判約160
ページに、大阪の靱ギャラリーの活動記録(1978-1985)が、仔細に綴られている。靱ギャラリー
は、町屋の蔵をそのまま使った画廊で、主として、当時の風潮であったインスタレーション系の
展覧会を多く手がけていた。その多くの作家は、すでに現役を退いている。今でも活動を続けて
いる作家は、大きく作品のスタイルを変えた。ページをめくると、懐かしさの次に、当時の時代の
潮流が蘇る。この20-30年の間に美術界がすっかり変わったことに気づく。
東京の三上さんが、なぜ関西の画廊の記録集を刊行しようと思ったかは、この本の序文にある
ので、触れない。本来大阪の人間が、まず手がけなければならないことを、やっていただいたこ
とに感謝するとともに、当時は今以上に関西の作家が、東京にも進出していたことがわかる。
私は、資料集めのごく一部分の橋渡しをしただけだが、少しでもお役に立ったことを、非常にうれ
しく思う。
この活動記録集「靱(うつぼ)ギャラリー」は、限定700部印刷。希望者は送料分の切手(240円)を
同封の上、和光大学三上研究室まで。

靱ギャラリーの記録集

5月31日

6月分
7月分
8月分
9月分
10月分
11月分
12月分