と う げ の う る お い は そ ら へ ゆ く

   表層が語るもの  ― 鉄への鎮魂歌 ―


 
甲斐良夫の近年の仕事は、鉄に集中している。だが、作品の制作過
程が他の作家とは少し変わっている。鋳型に流し込むわけでなく、叩い
たりのばしたりするわけでもない。寄木細工ならぬ「寄せ鉄」だと、本人
はあえて言う。あらかじめさまざまな大きさに溶断された鉄の断片を、城
壁の石を積み上げるように、下から溶接をしながら積み上げてゆく。設
計図はない。積み上げてゆくうちに、頭の中でぼんやりとした形が浮か
ぶ。その形が、決定的な形でもない。砂遊びをする子供が、船を作るつ
もりで、出来上がったら自動車だったということがあるように、目前の形
が現われてくるにつれ、頭の中の形も整ってくる。やがて、その主従関
係が逆転し、頭の中の形が主導権を握ると、制作はヤマ場を迎える。
手が自然に鉄の断片を掴み、もくもくと作業が続く。あらかた形が出来
上がると、しばし頭の中の形と対話が始まる。そして、余計なバリやカ
スをはじき飛ばしながら、グラインダーで表層を削りだしてゆく。削り出
された表層は、断崖の地層の重なり合いを連想させる。

 人間の歴史は、鉄を手に入れてから大きく変わった。その強靭さは、ま
ず武器に利用され、鉄の刀剣は、古代において絶対の優位性を誇った。
また、産業革命期においては、鉄の大量生産が可能になり、あらゆる生
産財や消費財に鉄が用いられ、文明の大転換を呈した。人間が大地か
ら得た鉄は、先進社会の経済構造を変えながら、文化の伝播者の役割
も果たした。そのたどってきた道は、功罪を併せ持ちながらも歴史を支え
る軸のひとつとして機能している。

 甲斐良夫が創り出す作品の表層には、人々が綿々と抱いてきた鉄へ
の想いがこもっている。たとえ表層に現われた表情であっても、その奥
深くから抽出されたものである限り、作品は塊でなくてはならない。中空
であってはならないのだ。アカデミズムの洗礼を受けなかった甲斐は、
ただ愚直に鉄の層を重ね削り出してゆく。

 仕上げに、ほどほどの熱で焼きを入れるのは、鉄の魅力を引き出す一
方で、作者自身の鉄への想いを鎮め、来るべきときにそなえて、もう一
度大地に戻す備えをしているのかもしれない。

                              
赤松 茂

copy right: Amano Gallery, Osaka

up-roaded March 2, 2013